Tデザイン社 西蔵電気筆録

沖縄県は八重山郡 石垣島に開設したデザインオフィスから発信する業務日誌改め、ドイツはミュンヘン市に居を移して発信する

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西蔵電気筆録「今生の別のロジック」
 俺らは歯車か?
そんな命題は今更ボクが取り上げるまでもなく、有名無名を問わず世間の皆様が散々議論し尽くされた観さえある。良いも悪いもない。ボクらは確かに社会の歯車だ。会社の歯車である。それに何ら異論はないし、むしろ肯定的に歯車でいようと思う。

歯車は故障したり不具合が有ると交換される。それもよしとしよう。

しかし社会や会社を機械として、ボクらを歯車として、そういうロジックを採用するならば機械設計者は誰なんだろうか。歯車が故障するのは一義的にも二義的にも歯車が悪い訳ではない。機械設計者が悪いのだ。そいつがボンクラだから故障の多い機械を設計する。

というわけで歯車の日常風景を振り返ってみよう。
出来の悪い歯車は仕事の憂さを霽らそうと酒を飲み、ついつい飲み過ぎて、毎日毎晩飲んじゃってアル中となり、いっぽうでは少ない身入りを増やそうとパチンコや競馬に嵌って借金をこさえる者たちがいる。そこまでいかずとも一生懸命働いても僅かな蓄えしか残らず、やる事なす事うまくいかずストレスを抱え、身近な我が子や伴侶や親などに辛くあたっては、時に斯くも出来の悪い我が姿を鏡で確認したりして呪いの言葉が口をつく。「やってられねぇんだよ!」

日常。毎日。いつもの光景。至極あたりまえの出来事。斯くの如き不出来な歯車はそこらに何十個でも何百個でも転がっている。もし、そのような例は見た事がないと言う人がいたらその人はわかりやすい嘘つきか、もしくは一族郎党が栄華を極める誉れ高き家に生まれた気高き者のどちらかだろう。

歯車が狂い、歯車が壊れる。歯車の設計者は私のせいじゃないと言う。しかし誰が責任逃れしようとも壊れる歯車の残骸はボクらの傍らにどんどん積みあがる。これからはもっと拍車がかかる。

果たして歯車が悪いのか?
歯車の出来が悪いのか?
歯車が不具合を起こすのは歯車に原因があるのか?
否。制度設計者が悪いのである。

考えてもみてほしい。出来の悪い歯車がパチンコで借金を抱えたとしてそんなものはたかが数十万とか数百万とかである。横領だ賄賂だ背信だ天下りだで大金庫から金銭を抜いてる制度設計者たちが手にする金の数十分の一、数百分の一、数千分の一に過ぎないではないか。出来の悪い歯車はたかが数十万とか数百万とかのはした金のせいで社会の落伍者の烙印を簡単に押され、ダメ人間と後ろ指を指される。かたや制度設計者を自認するものたちは湯水のごとく無駄金を使い、浪費してみせては「これが豊かさである」などとうそぶいては胸のひとつも張って見せる。


これは不均衡だの富の配分だのに問題があるわけではなく、設計者の体たらくと能力の低さ。これに尽きるのではないかとボクは考えます。生まれてくるときボクらはただ一人の例外もなく制度の中に生まれてきます。制度に入るか否かを自分で選択してどこぞの国籍や市民権を得ているわけではなく、産まれてくると親が勝手に名前を決め、容赦もなく戸籍に氏名を書き込まれ、義務と責任を持たされて、適当に身体が大きくなったあたりで成人と見做されて納税義務を背負い込まされ、そして社会に放り出される。これが見まがう事なき実態であり実情です。

そりゃ巧くやれる者もいるでしょう。しちめんどくさい事は適当にさばきつつ、頑張りどころを踏まえ、要領よく首尾よくやれる者が良質な歯車であり、制度設計者が期待してるのはそのような者たちです。

おそらくはボクも又その中の一人だと思います。とは言っても品質維持ラインのギリギリぐらいに引っかかってるだけ。歯車として交換されたり外されたりは確かにしなかったけれど、ボクは自分の周囲にごろごろ転がる前述の如き壊れた歯車やネジを見るたびに我らが世界の制度設計の拙さ 酷さ しょーもなさに憤りを覚えないわけがありませんでした。


この稚戯のごとき珍妙で嗤っちゃうような最低ランクな制度設計世界でうまくやってる奴がどれだけいるのかボクは興味がないからわからないけれど、うまくやれない奴はいくらでも知っています。アル中やパチンコ破産なんてわかりやすくてまだましと思えるくらい。

うまくやれないヤツの大半は本人がその自覚さえないから誰の目にもその病理は鮮明には映らない。でも、よくよく見詰めると見えてきます。例えば、一向に効果をあげないダイエットやエステに年収以上のお金をつぎ込んだり、医者の勧めるままに検診を受け、複数の薬を飲み分け、二本三本と保険に入っても尚解消されない不安をもてあましていたり、テレビ番組に感動させてもらう事をやたらと求めたり、アホみたいにテレビのチャンネル行ったり来たりさせながらメシ食ってたり、移住先や引越し先で地元の人に憤懣やるかたなくトラブルばっか起こしたり、終日FaceBook開いてはせっせとコメント書き込んでいたり、金の斧やなんとかのつるぎ買い込みすぎてネトゲー破産したり、まだまだあるけど、うまくやれない病理は色んなカタチをしてボクらの半歩後ろをくっ付いてくる。

でも、これらの人たちにはほとんどその自覚はない。うまくやれてない自覚がないどころか、自分はこの世界でたいそう上手くやれている筈!とまったく逆の事さえ思い込んじゃってる。そう。つまり、上手くやれているか否かの基準はけっして収入の問題じゃない。うまくやれない事と収入に一定の相関関係はあるでしょう。でも因果関係はない。ボクはそう捉えています。



ガタンゴトン。振動しながら動く大きな大きな機械。
外れた歯車。機械の隙間から転がり出て、床に落ちる。
そこにあるのは幾つもネジや錆び落ちた鉄片。長い髪の毛。剥がれた爪。涙。血。
機械を動かす者も、機械を作った者も、誰も床などには目もくれない。
機械が変な音を立てたり、動きが悪くなるとドンッドンッと叩く。何度も叩く。幾度も叩く。
目先のコストを重視する機械マネジャーたちはメンテナンスなど気にしない。
壊れるまで稼働させる。壊れるまで電気スイッチを切ろうとしない。

叩いた機械が再び動き出すと彼らは「ラッキー」とうそぶいて、また忙しそうに動き回る。



5年ばかり続いた西蔵電気筆録は本稿をもちまして終了です。
長い間読んでくださった方にも最近の読者の方にも感謝をいたします。
当初、仕事用と思って始めたブログでしたが、311があり、その後の混乱期を経て、気がつくととても仕事のご紹介と呼べるものではなくなっていました。これより仕事の場を海外へと、ネットへと移しまして新たなブログを始める予定です。今度はちゃんと仕事のご紹介ができるものになればいいけれど、さてどうなることやら。

ちなみに石垣島を愛してやまないボクですので島に仕事の拠点を残しておくのは言うまでもありません。Tデザイン社も伊原くんがそのままに稼働いたします。ボクとしては「ちょっと島をあける」そういう感覚です。

西蔵電気筆録を読んでくださった皆さん、さようなら。またいつか。










| 13:04 | - | comments(4) | trackbacks(0) |
new style

これからの広告についてここのところよく考えている。

従来の広告とはそのほとんどが美辞麗句を並べ、体裁の良い写真や絵で飾りつけ、当たり障りのない言葉でずらずらと説明を加え、アクセス方法をでかでかと打ち出して広く世間に対して店なり人なり商売なりを知らしめようってものがそのほとんどを閉めていました。ま、なかには確信犯的で刺激的なキャッチコピーや写真を用いる場合もありますが、それはあくまで表現方法の差でしかなく、広告としての基本構造にはさほどの違いはないでしょう。

では、この従来の方式の要点とは何でしょうか?

至極端的に言うに演出です。
綺麗に見せる。
体裁よく見せる。
分かり易く効果的に並べてみせる。

これらはすべて演出であり、あらかじめ何をどのように見せたいのかを計算し、それを意図し、経験則的に体系的にデータを再構成したものが従来の広告のほとんどです。大手、中小を問わず広告と名のつくの物を言語化してしまえばそのようなモノであり、無論、我がTデザイン社が制作する広告だってその御多分にはもれません。

演出を嘘と呼ぶつもりはありません。広く他者に伝える為の道具として生み出された広告であれば然るべくして伝達の精度を上げるため演出や、効果を上げるための為の一定の演出が必要とされてきたわけだし、それを嘘だの虚実だのと呼ばわるには通らぬ無理があります。

しかしながらこの演出と言うのがクセモノで、その程度や種類や方向性に別に唯一無二の基準があるでなし、演出の運用はあくまで広告制作者や企画者の裁量に任されるがままこれまで来たし、おそらくこれからも当面はそのスタイルが主流であり続けるでしょう。

なれらこそ演出がいつなんどき嘘に転じてしまうか危ういと言わざるを得ず、実際にまったくの虚構が広告に混ぜ込まれている場合が往々にしてあるのは誰もがご存知の通りだし、確信犯としてそれを行っている広告だって現実にはあって、それをもって広告の持つ欺瞞性とボクなんぞは呼称しております。


例えばTwitterでボクがフォローしているキリグアさん。彼女はグアテマラで宿を営んでいて、そこの日常のあれこれを彼女の平たい言葉で表現し、たまに彼女の視界に写っている物を写真としてアップしてくれています。で、彼女の言葉は決して品行方正ではなくて、嫌いなものは嫌いとはっきり言葉にし、愛して止まぬものや それに愛情を注ぐ様もそのままに表現します。

で、それらのツイートを日々拝見するボクにしてキリグアの宿に行ってみたくて仕方がなくなる。多分二週間の時間がとれるならいつでも行くぜ!などと思ってしまうわけですが、それこそがまさに新しい広告のありかたなんじゃなかろうかと思うわけです。

過剰な美辞麗句を並べたり、ありもしないサービスを謳ったり、Photoshopでいじり倒した写真嵌め込んだりするのではなく、ただ己を表現する。ただそこにあるものをあるがままに表現する。自分が見ているものを見ているままに伝える。

それに嘘偽りがないなんて言うつもりはありません。個人の目に映ったものが言葉や写真として情報化された場合にフィルターがかかり個人性のバイアスがかかるのは当然です。言ってみれば表現者なりのフィクションがそこにひとつ生まれます。そのフィクションとは大人向けの欺瞞や子供向けのおとぎ話ではなく、表現者個人の暮らし方であり物の見方。


ホントは今だってそう。幾重にも覆い被さってる虚飾や演出をひっぺがせば何も無い人は何も無いし、薄っぺらい人は薄っぺらいし、面白い人はそのままで面白い。逆に言えば何も無い人や薄っぺらいひとほど虚飾も演出も過剰にならざるを得ず、面白い人はやっぱりそのままで十分に面白い。

自分自身が自分を面白がれない限りは他者に面白がってもらえる筈はありません。自分を面白がり、自分が言ったりやったりしてる事を面白がる。それをそのまま表現したら最高の広告となる。それがボクの考える広告の新しいスタイルです。

現行 巷に蔓延る広告は、あわよくば他者を騙してやろうとか、自分や自分のとこの商品に演出加えて少しでも良く見せようとか、過大に見せてやろうとか、ありもしない付加価値付けてやろうとか、そんなのばかり。広告に使う女性オーナーの顔写真からPhotoshopでシミやほくろ消すぐらいはなんぼのものでもございません。かくありたいという願望をアドビ製品を使って表現したに過ぎないでしょう。でも厳選されてもいない食材を『厳選素材』と謳うのはやっぱ虚飾であり、ろくな社員教育もなくサービスの訓練もされてない従業員をして『親切な専門スタッフ』と呼ばわるのも演出に過ぎません。

ありもしない効能を謳うなんての未だに広告に用いられてるわかりやすい虚構ですが、本当はもっと解りづらいカタチで広告の虚飾は為され、大半の人はその虚飾や演出に気づかない。容易には気づかせないそれは、わかりやすい稚拙なそれよりも悪質です。

例えばダイエット製品広告の常道とも言えるビフォア・アフター。あの変わり身と謳い文句のダイエット効果の欺瞞はあまりに判りやす過ぎて、あれをそのまま信じる人は今時いない筈ですが、厚生省が認可する特定保健用食品の欺瞞はなかなか巧妙で多くの人々が欺かれてしまう…

虎の威を借るなんとかじゃありませんが、国家(権威)のお墨付きには誰しも弱いものです。そして広告の現状もまた虎の威を借ることで維持され、幾重の虚飾と演出テクニック頼みなのが偽らざる現状と言えるでしょう。

権威付けばかりではなく、多くの人がその価値を疑わず信じることで付与されるプレミア感。著名人を起用したり利用したりすることで発生させるブランド力。時流に乗り流行りを追いかければ誰にでも生み出せる安心感。それらがみんな嘘っぱちで悪辣とはまでは言うつもりはありませんが、それらを用いる事で一尺しかない身の丈を三尺にも五尺にも見せる広告はここらでもう終いにしたい。

広告の現状に何ら疑問を抱かない一般消費者は確かにまだまだ多いし、それら騙されやすいクラスタは未来永劫不滅なのかも知れませんが、一方で虚飾と欺瞞に満ちた広告の現状に呆れ果ててる人たちもまた確実に増えています。

ロークォリティー・ローコストのものを少しでも高く売り、利鞘を厚くせんが為の広告が死に絶えることはないのでしょうが、ボクはグラフィックデザイナーの立場としてそれを否定するし、そういう商売には加担したくありません。例えボクの稼ぎにならずともボクは広告のnew styleを標榜し、支持します。

だからと言ってハイクオリティの商品や会社や店舗や人だけがいいのだと言ってる訳では全然なく、有る物を有るだけで表現する。そのよう広告を世に出すお手伝いができれば本懐かと。


※本稿に使用した写真はキリグアの宿のブログより転載しています。


| 03:39 | about us | comments(0) | trackbacks(0) |
風カフェ。小浜島。(たまには仕事の話でも)
 
仕事の話なんか書くのは何年ぶりだろうってくらい与太話ばかり書き連ねる今日この頃。皆様いかがお過ごしでしょうか。わたくしも仕事はしてるんです。最近はわりと本業が忙しかったりするんです。311からこっちはしょぼくれてる事も多かったけどねw 

今日のお客様はventare  caff。沖縄県八重山は小浜島のビーチサイドに新規オープンしたお店です。イタリア語を用いた店名は勿論クライアントによるもの。和訳するに『風カフェ』。今回はこのロゴ制作と、看板、スタッフポロシャツなどをご注文いただきました。

今節のデザインの肝は熱々のカップから立ち上る湯気が風にたなびくロゴマーク。極めてシンプルながら説明不要のマークでしょ?w クライアントにも喜んでいただき、このマークはスタッフポロシャツの左胸にワンポイントでプリントされてます。今度小浜島へ行ったら可愛い女子スタッフが着てるところ写真に撮って来てアップしましょうね。

文字のほうも既存フォントをシェイプアップし再調整して風の通りを良くしております。そして島の木工屋『うえざと木工』さんに発注して作ってもらって看板が最高でした。木の看板を作る際は是非みなさんも浮き彫りをお試し下さいませ。店の格が2ランクぐらいあがりますから!

ってことで、仕事の話は短めにw

| 20:48 | お客様 | comments(0) | trackbacks(0) |
敵を知る。そして己を知る。それで百戦危うからずかどうかは知らないが、戦い、生き延びられるか否かは知るしかない。『松井博 著 企業が「帝国化」する』を読んで
国家=為政者、もしくは支配者という構図は資本主義社会においてとうの昔に崩れているのではないか。国家なんぞは帝国化した企業の走狗と化しているのではないか。

今回、松井博さんの著書を読み進めながらボクはそう痛感した。本当はそんなことはわかっている筈だった。でもボクの頭の中は知見と感情が交錯して、交錯して色んな事がとっちらかっていて国家の実態を見誤っていた。皆が政治と政治家の無能さを口を極めて批判している隙に一握りのグローバル企業がボクらの生活の根っこを押さえ込み、ボクらは既に抜き差しならぬところにいるのではないか。

ま、国家というものが暴力による支配を是としている事は間違いないところだし、法律や教育プログラムによって一定の拘束をボクらに掛けているのは確かだ。しかしながら政治家は基本無能である。与党野党を問わず各政党はおバカさんの集まりであって、烏合の衆とは国会議事堂に集まる方々を指しているのだとボクは思っている。

そう。政治家が国を社会を動かしているのではない。官僚が動かしているのでもない。彼らには動かす能力あっても必然性はない。彼らは基本的に公僕で、公僕とは実に無責任でいられる。責任など取る気もないくせに動かしているのは俺たちだという尊大な思い上がりだけは人の10倍ぐらいある。結果を求められない仕事をしてるんだから、ま、そんなものでいいのだろうが、求められても責任を負う気の欠片もない彼らに社会をドライブさせることはできない。出来るのは精々がデフレスパイラルか経済不況か自殺大国をつくるぐらい。

じゃ、何が社会をドライブさせているのか言えば公僕以外の人であり、公僕も人も金を求め、便利で豊かな暮らしとやらを求め、だから働き、モノを買い込んでは消費し、また働いて消費する。そこに企業が目をつける。「よっしゃ、じゃ、たくさん消費してもらおうじゃねぇの」と。

例えばPC。これを悪と断定することを比較的簡単で、PCがなくても確かに基本的には暮らしていける。だが、もはやPCなしに大半の仕事は成立しない。製造も流通も販売もそのシステムはPCによって制御され、もし明日世の中からPCが一台残らず喪失したらボクらの生活は破綻する。

で、そのPCを作ったのは国家ではない。私企業である。その企業はただ作って販売するだけではなく、自分たちの商品であるPCがなくてはならないものとする為に金を使って政治家と官僚を丸め込みんではIT関連の事業に予算をつけさせ、広告代理店と組み、PCを使えば便利で豊かな生活が実現できると大々的に喧伝し、何十年もかけて経済システムの大動脈を押さえ、今こうしてPCなしに世の中の多くの仕事が成立しない現実を作り上げた。

こうなるとボクらはもうPCを買わざるを得ない。PCを製造販売する企業の思惑通りにハイスペックマシンや次々と新しいテクノロジーを盛り込んだマシンを買い続けなくてはならない。

とは言え、こんなのは企業がドライブさせてる世のシステムの断片でしかなく、もっと詳しいことは松井氏の本に書いてあって、氏の本を読み進めつつ正直ボクは絶望的な気持ちにもなった。「がんじがらめじゃねぇか…」と。



簡潔に言えばボクらには二通りの道しか残されてない。企業がドライブさせる社会に背を向けるか、それとも敵の懐に飛び込むかの二通りだ。

背を向けても生きてはいける。等身大の自分として、便利にも豊かさにも惑わされず、企業がドライブさせる社会からちょっとだけ外れた空間を見つけて慎ましやかに暮らせば大丈夫だ。だが、全ての人がそんな意識を持てる筈もなく、多くの人は誰がどんな仕組みでドライブさせてるのかさえ解さないだろう。解さなければ戦いようはない。ただ、物言わぬ消費者として企業の思惑にそって暮らし生きるしかなくなる。だが、それを解すのならば企業の間違った思惑を正すことは可能だ。

企業が用意する消費させるシステム。それを解した上で背を向けるのか、それともそのシステムの只中に身を置いて、システムの欠陥やバグを正すのか。幸いボクらは言葉を持っている。先の喩えでいうならボクらはPCを使いこなし、リアルでもネットでも発言する機会を有している。背を向けてしまえば己は清く在るかも知れないが、企業の正邪入り混じった思惑を正すことは出来ないし、そうなればあとは企業のドライブは加速度をつける一方だろう。

背を向けようと懐に飛び込もうと どの道ボクらは破滅に向っている。人は生まれた瞬間から死に向って突き進んでいるように、あるゆる生物種は絶滅する方向に顔を向け、一歩たりとも休まずに進み続けているのだとボクは思っている。ならばボクらがやるべきは死に絶えるその時が来るのを1秒でも1分でも遅らせる事なのではないか。生をまっとうするとはそういう事なのではないかとボクは考えているわけで。



で、どんな敵にも弱点はあるのだから、懐に飛び込んでも戦いようはある。懐に飛び込んだその身体を抱え込まれぬよう手を振りほどく術をボクらは持っている。戦い方はひとつじゃないし、交わし方も防御方もひとつじゃない。敵との距離を置き、ロングレンジなら多少は安全かも知れないが、敵もバカじゃないからロングレンジだからっていつまでも安全で安心とは限らない。敵は資金潤沢に付き長距離砲を用意してくるかも知れないし、リングそのものを大幅に拡大してくるかも知れない。

ボクは自分だけが清く潔くあろうとは思わない。ボクの中には確かに邪があって、自分の中にある邪に目を開き、邪を制御したい。それが出来るのなら相手の懐に飛び込もうともボクは抱え込まれない。相手の思惑を感じ、相手の攻撃を柔軟に交わし、ショートレンジでも交わして交わして交わし続ける。

それで交わし続けているうちにジャブぐらいは相手の顔に当てられる筈だからw

ま、ともあれ『企業が「帝国化」する』のご一読をボクはお奨めします。若い方々には特に。
| 01:06 | think it | comments(0) | trackbacks(0) |
しんねんあけましておめでとうございますw
 なにが新年だよ、気がつくともう二月になろうとしてるじゃないか、ってことで西蔵電気筆録も書き始めて今年で五年目。当初は仕事のネタが中心でしたが、311以降はこじれる日本の社会を斜に見つつ独白のようになってしまいました。でもホントこーゆー事じゃなかった筈なんです!w

石垣島でのTシャツ製作とデザイン制作を牽引すべく(←冗談)二人の子供を持つ父親として希望に満ちて開業した五年前。それまで上昇曲線を維持しつつ島にたくさんのお金を落としてくれた観光客数が減少に転じた年でもありました。それから毎年一割ずつ着実に減り続ける観光客と、一向に観光にテコ入れする気のない石垣市のお役所仕事に業を煮やしかけるも、そこは、ま、オトナとして作り笑顔で日々の仕事に頑張ってきました。

個人商店には過ぎないものの人も雇いました。観光再興の一助となるべく島の同業者たちが新たに興したTシャツ組合の活動も手伝いました。友の力を借りて映画を上映したりDJをやったりもしました。それでもなかなか思った通りにはいかない会社をなんとか軌道に乗せるべく寝る時間も削って働いてきました。それで家族にも思い切り迷惑も掛けたでしょう。

なのに311を経て、ボクの中で何かが崩れた。

それは二年前の3月11日に崩れたわけじゃなく、春になり夏を迎えた頃に自覚し、秋にはもう崩れ、欠け落ちたモノの破片を集めて始めていた。勿論仕事は続けたし、このブログのアップはさっぱりやらないものの今だって仕事は自分として精一杯やっている。でも、この国と、この国に住んでいる多くの人たちに対してぎりぎりで持ちこたえていた信頼や期待みたいなものの底が抜けてしまった。

ボクは断言する。この国は間違いなくごく近い将来に起こるであろう戦争に加担する。いや、加担ではなく首謀者かも知れない。くわえて原発事故の後始末さえなんら手付かずで放置したままだ。それらの状況に鑑みるならば経済成長どころではない。現状維持さえ至難なのに。

主たる先進国が戦争準備を静かに始めているのに日本の主要メディアはそれを伝えない。ひたすら目をつぶり、災難も災害も紛争も何もないように娯楽にまみれて安楽に暮せばよいではないかと耳元でささやき続ける。危惧などしても始まらないのだ。大きな波に翻弄されるのが大衆と言うものだよ。避けられる術などそもそもないのだ。どうせ避けられぬ危機が訪れるならその時までワインでも飲んで笑って暮らそうではないかと言わんばかりに。

なれば徴兵制も敷かれるだろう。
徴兵制を敷く他国に照らし合わせて妥当なところで考えれば40歳までの男女が徴兵され、現在仮想敵国とされている国との戦争の前線に送り出され、原発事故の火急なる処理は国家存亡の分かれ道とばかりに溶けた核燃料を地中より堀り出し封じ込めるための捨石とされる。

ニューワールドオーダが組まれ、米国と欧州が牽引するカタチで世界の再編と統合が行われる中で極東の島国日本の役割はもはやない。どうせ汚染されているのだからと核燃料の廃棄エリアぐらいの存在意義しか示せないかもしれず、哲学を失い思考力が低下し反骨精神の欠片さえ握っておらず短期的な利潤を追うことが正義とされてる日本が再び経済大国に返り咲くことは金輪際ない。

我々はもはやマニュアルと参考書なしでは仕事さえできない。金勘定には長けてもアイディアも個性も気概もないから起業や開業にさえ及び腰だ。アイディアだ個性だと言い張るものを見ればそれはいつも誰かの引き写しだ。それどころか気ままに自由に旅することさえ出来ない。



そうやって色んな期待や希望が壊れてしまったけれど、だからと言ってボクは仕事を捨て世捨て人になろうというのではない。祖国を捨てようとも思わない。それは理屈ではなく感情として。

でも今までやってきたことをそのままには最早やり難い。自分が展望し、予測し、推察するところに見合うカタチを模索し始めている。それで誰の理解を求めようともボクは思わない。わかってくれる人はわかってくれるし、応援してくれる人もいれば非難する人だっているだろう。それだけのことだ。

早晩それは行動となり、西蔵電気筆録には新たな物語が載る。


| 16:37 | - | comments(2) | trackbacks(0) |
非国民のススメ ー第1回ー
最近どうも肩こりが酷い。疲れやすい。疲れが抜けない。いつも下痢気味である。咳が何週間も止まらない。そんな症状にお困りの方はいらっしゃいませんか?

それらはもしかしたら低線量被曝のせいかも知れませんが、きっとそうなんじゃないかとボク個人は考えいますが、今節は敢えてそれとは違う病因に言及することと致しましょうぞ。ではその病因とは何かと言えば、冒頭の軽度不調の要因となっているのは貴方の属性が立派で真っ当な社会人だからであり、立派で真っ当な社会人の上に更には遵法精神による行動規範を自らに課す極めて模範的国民だからではないかとボクは考えています。

真面目で誠実で一緒懸命なのは確かに社会的評価が高い。それは間違いありません。それは鉄板です。

しかしながら社会的評価を高めで維持したいが為に、本来堕落して、エロくて、狡いことばかり画策しているもう一人の自分を貶め疲弊させていることに多くの国民はとても無自覚なのもこれまた鉄板です。

斯く言うボクも結構無自覚です。他人の無自覚さを問うわりにはなかなかどうして無自覚です。どんなふうに無自覚だったのかというと、バカみたいな大声で歌って、ハードスプレーで髪の毛逆立てて、アイライン真っ黒で化粧して、腰からジャラジャラと鎖垂らして、俺はPUNKだとかやってたのも、とどのつまり、他人から褒められたかったり認めて欲しかったりしただけなのです。

ま、前述の『社会的評価高めを維持したい』って意味からは外れますが、要は表裏一体で、なんであれそのような無自覚な我が身のふるまいは、本来のアホだったり バカだったり だらしなかったり エロかったりする精神に知らず知らずのうちにダメージを与え、いつまでもそれに無自覚だとダメージは積もり積もって、往々にして欝になっちゃたり統合失調症になっちゃったりするわけです。

立派な社会人で、立派な国民であることを自分に強いるのは斯くも過酷なことなのです。そんなこと続けてたら病気にもなるでしょう。心身一如(しんしんいちにょ)であれば癌にも掛かる方もいるでしょう。白血病になったり心筋梗塞になったり糖尿病にかかる方もいるでしょう。そうなるまえに手を打たねばこの国の健康保険制度は崩壊します。(ま、そのような見通しがあるから政府はTPPに参加して現行の保険制度の息の根を止めようとしてるのかな?)

では、どのような手を打てばいいのか?

蓋し、私は非国民のススメを皆様に説いてみたいと存じます。つまり本来の資質であるアホバカエロを率直に受け入れつつ生きるススメです。ご立派な国民であることなど辞めようではないかと言うススメです。

立派で模範的で遵法精神にあふるる社会人じゃなくても全然いいではありませんか。政府の代わりに国益なんか考えなくてもいいのです。中国が攻めてくるとか、いちいちそんな事に心を砕く必要はどこにもないのですよ。そんな国際政治のことばかりでなく、例えば日常においても、約束の時間に5分遅れても世界がひっくり返るわけでもなく、ましてや他人の失敗や過ちを責め抜いたからといって責めた自分の人格に徳性が帯びるわけでもありません。実際はむしろその逆です。

失敗し、間違い、過ちを犯した他者を責めれば責めるほど己の首を締めているに等しき行為であることを立派な社会人の方は忘れているのです。他者のアホでバカでエロいところを責めれば責めるほどに自分自身が持っているアホでバカでエロいものの首を締めているのです。だから他者や周囲のネガティブを見つけ出せば出すほどに苦しくなる。


はっきり申しましょう。
ボクがここで開陳する非国民のススメを否定し、あなた自身がどれほど立派でしっかりした価値観とモラルを持っていると主張しようとも、この世界はあなたが信じて疑わない立派でしっかりした価値観とモラルで動いているわけではありません。むしろその反対のものがこの世界をドライブさせているのです。

そう。バカでアホでエロいものが。

更に言えば出鱈目で狡猾で言葉巧みなキチガイたちが世界の指導者であり為政者たり得ている事実。

ということは、あなたが立派でしっかりした社会人で高いモラルを持ち国益なんぞをちらりと考えつつ行動するならば、それはアホでバカでエロくて出鱈目で狡猾でキチガイな指導者と為政者たちを喜ばせているだけでなのです。

そんな連中を喜ばせるよりは自分自身を喜ばせてあげましょうよ。ね。
アホでバカでエロい自分自身をもっと認めてあげましょうよ。それが健全というものです。




| 13:28 | 立派な大人のための童話 | comments(1) | trackbacks(0) |
曇天、日本海 波高し、機関部に重大な損傷、資質なき船長があやつるニッポン丸のゆくえ
原子力エンジン搭載、総排水量一億二千万トンのニッポン丸が蛇行を始めてから十年あまりが経った。もはや修理の見込みすらない機関部のアクシデントを隠すことに努め、一定の功を奏した小泉という船長がかつていたが、隠しきれないと悟った彼は船長の座を後進に禅譲し、そそくさと船橋から姿をくらました。

それから致命的な故障を抱えたニッポン丸の船長は短期間のうちに次々と変わり、船員をはじめ乗客のほとんどはその名前すらよく覚えていないが、そもそもニッポン丸の運行が船長の指揮統制下にあるのかと言えば実に怪しげだ。彼らの言動を鑑みれば彼らは無能だからこそ船長に指名され支持されているとしか断じられなかったし、その無能さゆえに重大な機関損傷を彼らが隠しおおせる筈もなかった。しかし、権力に楯突かない訓練を施され、乗船時にも船舶運行者の指示と命令に従う書類に署名捺印してある乗客たちが、蛇行を隠す船員たちに異を唱えることはなかった。

なかには蛇行操船に気づき告発する者たちもいたが、多くは上級船員たちによって懐柔されて言を翻したし、それでも黙らぬものはそうっと目立たぬよう夜間の甲板におびき出され漆黒の海中へと沈んだのである。

いくら告発者を黙らせようとも重大な機関部の損傷は隠しきれず、迎えた3月11日の未明に原子力エンジンが爆発し、核の粉塵を巻き散らかすこととなったのは皆さんの記憶にも新しいところだろう。飛散した核の粉塵は大気と海洋にばらまかれただけでなく、ニッポン丸の船内にも充満した。

核の恐ろしさを納得しているものは、爆発を起こした船内下部には近づかずこうとせず、客室さえ離れ 甲板へと上がったが、多くの乗客は船長が発する根拠無き安全運行可能宣言を受け入れたし、それを受け入れる以外の選択肢を持ち得ている筈もなかった。

ニッポン丸には乗客ほぼ全員を避難させうる救命ボートを積載していたから逃げ出そうと思えば逃げ出すことは可能なのだが、逃げ出せばちっぽけな救命ボートを手こぎで進まねばならず、巨大客船ニッポン丸に居残れば気楽な乗船客としての立場を失うことはない。下級船員を呼びつけ、運行状況は改善されておるのかねと問い質し、文句を言う自由がいつまであるのかわからぬし、いつ船長権限で機関部の修理班に回されるかわからぬもののその時がくるまで気楽であることに変わりはない。それだけに自分にお鉢が回ってくる懸念なき高齢の客は横柄にさえなれる。

高い乗船代金を支払った乗船客として居残るのか。それとも救命ボートで漕ぎ出すのか。

ニッポン丸が沈むその瞬間まで船長はそれを告げないかも知れないし、船長としての資質に欠けるものであるほど沈没を告げるタイミングは遅れるだろう。でもそれは悪意ではないのかも知れない。運行管理の建前上の最高責任者としてニッポン丸を最後の最後まで守ろうとしただけなのかも知れず、賛意を示す者さえ乗客の中にはいるだろう。でも、賛意を示すものは運良くも沈む巨大客船と運命を共にせずに済んだものであり、船体と共に海中へと吸い込まれた乗客は何も語らない。

語る者と語らぬ者。
あとに残るのは声をあげた者の物語ばかり。

| 17:36 | 立派な大人のための童話 | comments(1) | trackbacks(0) |
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