Tデザイン社 西蔵電気筆録

沖縄県は八重山郡 石垣島に開設したデザインオフィスから発信する業務日誌改め、ドイツはミュンヘン市に居を移して発信する

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自分を疑うデザイン・広告 〜皆がやってるものが良いとは限らない〜

物事には流行りってものがあり、しばしば絵心を持ってる人がいて、バランス感覚なんてものを持っている人もよくいる。バランス感覚がある方は我彼の比較にも長け、周囲と調和する感覚も併せ持っていたりする。

で、これら流行り絵心バランス感覚を適に持ち合わせている方はしばしば御自身でデザインをされるし、そのまんまデザイナーになる場合もある。するとその作品は流行りに倣い、絵心にあふれ、バランスよくレイアウトされた結構見た目の良いものが出来上がる。

これ自体、ボクは否定しないし、否定どころかそのデザインを仕上げた方が職業デザイナーでないのなら拍手の一つもしてあげたくなる。流行の図柄を取り入れ、絵心あるからイラストなんかもチラッと描いちゃって、バランスよく各項目をまとめてあって一般的に誰もが褒めてくれるデザインなのです。

でもね。こういうのは確かに良いデザインかもしれませんが、効果的なデザインかどうかはわかりませんし限りません。

つまり、このなんらかの作品を自分のお部屋に置いてお友達や来客にさりげなく見せてちょっとした賞賛を得たり、もしくは盛大に陳列ディスプレーしずぶずぶの自己愛に浸ったりするには最適なアイテムとなるわけですが、同じ調子で広告を作成した場合、たいていは肩透かしを喰らう羽目になります。はっきり言うと広告としてはあまり良くないってことです。もっとはっきり言うとダメだって事ですね。

なんででしょう?
流行りに倣ってるし、絵心だって満載だし、過不足なくすっきりと原稿をまとめバランスにも優れているのです。それの何がダメだって言うのでしょうか。さっぱり意味がわかりません。って顔をしますね皆さん。

これがもし仮に商品カタログなんかだったらそれで全然いいんです。商品の羅列を羅列でなくして如何にすっきりとまとめるかって事を求められているならそれが最適でしょう。でも広告でそんな手法が有効かどうかは又別問題なのです。なんでかって言うと、流行も絵心もバランスもあることが逆にその広告を他の多くの広告の中に埋もれさせてしまうからです。だってね、他の多くの広告も同じ手法で作られているんです。赤い玉が一杯入った箱の中に自分が持ってる赤い玉を投げ入れちゃうと簡単に見失うことになるのは誰しも想像がつくのに、自分自身で玉を赤く塗ると途端に想像できなくなってしまうんですね、これが。

ま、その気持ちはわからないではなりません。「俺が(私が)塗った赤は同じ赤でもみんなの赤とはちょっと違うんだよ。だって、ほら、俺が(私が)見れば見分けがつくもん。他の赤玉とはちょっとだけ光沢が違うんだよな〜」って主張も当たっているとは思います。

では何故だめなんでしょう。赤玉に関しての主張は当たっているし正当かもしれません。でもね、広告を見るの自分ではなくて見知らぬ閼伽(あか)の他人なのです。他人から見れば赤い玉の中に赤い玉を投げ入れられても全然見分けがつかないのです。流行りも絵心もバランスも過不足なく整えられた広告はその他多くの広告の中に埋もれてしまうための手段でしかないのです。

じゃ、どうすればいいのよ?ってことになrかと思いますが、どうしたらいいのかのお手伝いは我が社が出来るかと思いますので、いつでもお気軽にご相談ください。ね。よろしくどうぞ〜(笑

| 09:53 | レクチャー | comments(0) | trackbacks(0) |
useとmakeは違うのだ【後編】

で、自称デザイナーが巷に増殖することになった要因の一端はPCやソフトのメーカーサイドにもあるし、マスメディアにもある。PC はなんでも簡単に出来ちゃう式の喧伝を大々的に行い、そのような安易な価値観を敷衍させることでPCを売りソフトを売り、子供だましの商品や作品を大量消費する道筋をつけ、出鱈目な商空間を拡大してきたのはメーカーやメディアの仕業に相違ない。

ま、政治経済ネタはここでは取り扱いたくないので深くは言及しないけれども、メーカーやメディア側が仕掛けた販促キャンペーンにあまりに無批判なばかりではなくてむしろ礼賛一辺倒だったボクら消費者の態度や姿勢が褒められたものではないのは確かだ。そういう意味においては自称デザイナーや自称芸術家が増殖することとなった事態とは必至必然と言えなくもないけれども、必然であることを踏まえた上でボクはあえて批評したい。

イラストレーターの使い方を知っているのとデザインを構成できる能力は似て非なるもの。前者はマニュアルを頭の中に入れるだけ、後者は何百点か何千点かの作品を作りつつ試行錯誤しながら覚え、身につけるものである。

自称デザイナーやその予備軍の方々がひとつ大きく勘違いしてるのはソフトウェアの使い方を覚え、各コマンドを操作できるとそれがもうデザインだと思い込める点である。何がしかのフォントが綺麗に打ち出され、スキャニングした写真が一列に並ぶと自分がもう大したデザインをやっているかの如き甘美な雰囲気に浸りきれちゃうのは幼稚以外の何物でもない

夢見がちなのは十代の少女と昔は定番が決まっていたのに、今はいい歳こいた大人がそれをやるようになってしまったのである。誰かの受け売りで、人生になにがしかの意味を求めたりするから夢見がちになってしまうのだし、実際PCでなんでも簡単に(そこそこのものが)出来ちゃうから悩んだり苦悶したりせず幼稚なまま身体だけが大きくなるのであるとボクは思うが、ま、あまり大声では言わないでおこう。

でもやっぱひとつ言っておこう。
人生に意味を求める前にちゃんと仕事をやってくれ。黙々と、淡々と、着実にいい仕事をやり遂げてくれ。人生への意味づけを後回しにするのはもとより、ソフトウェアのマニュアルを1ページでも多く覚えるよりもコピーや絵を創作するために一つでも多く悩み苦しんでくれ。まずはそこからだ。

| 10:07 | レクチャー | comments(0) | trackbacks(0) |
useとmakeは同じ意味じゃない

世の中便利になっちゃって、昔はなかなか出来なかったことが今は割りと簡単に出来たりする。例えばアメリカの州ごと天気予報を知ろうとしても20年前なら然るべきところに然るべき理由を以って短くは無い時間と手間と料金をかけて問い合わせなければ知る事ができなかったが、今はちょっとググれば事足りるのだ。その所要時間3分ってとこだろう。

例えばケーキのレシピひとつだって昔なら本屋さんに出向いて然るべき本を買わねばならなかったし、レーキのレシピならまだしも今はウェブ上を検索すれば爆弾の作り方だって数分以内に知る事が可能です。

でもってデザインは言うと、これも似たり寄ったりの事情ですね。
まず昔はデザイナーの皆さん、ペンも持って線引っ張って絵描いてコピーに頭ひねったりしてたわけだけど今はイラストレーターなんてデザインする為のアプリケーションがあったりして簡単なポップの一枚ぐらいならペンも筆も手にせずに簡単に作れちゃうわけで。

更にはウェブ上には簡単なイラストやイメージ写真に転用可能なものが何枚も転がっていますからあとデザイナーがやることと言ったらワープロよろしく文字原稿を入力して、PC搭載のフォント群の中から書体を選定して配置配色を決めるぐらいなもんです。うわ〜簡単。楽っ!こんなんでお金もらっちゃっていいのかな♪

と言いたいところなのですが、実はこれ、デザイナーの仕事じゃございません。これは仕事じゃなく趣味ですね。趣味ならOKです。問題ございません。でも巷にはこんな具合の仕事を以ってデザインと呼んじゃう方々が結構いたりするんです。昔はこんな自称デザイナーはおりませんでした。ま、昔も極少数、詐欺まがいの自称デザイナーがいたかも知れませんが、昨今の多さに比べたらそれこそ雲泥の差。月とスッポン。馬耳東風。三歩下がって師の影を踏まずどころか三歩下がってから師の背中にドロップキックを食らわすが如き悪辣な所業を行う者の多いことよ。

あれ?一瞬脱線したでしょうか。ま、ともかくもイラストレーターなんてデザインソフトの使い方を知っている又は操作方法をなまじ覚えたが為に我こそはデザイナーであると、そう自己暗示、思い込めてしまう方が平成の世には溢れておるようです。正味、幸せな方々であり、なれるものらそのように簡単に自己暗示が掛かる体質になれたらどんなに楽だろうと、そう思うわけです。
 
                         (つづく)

| 08:54 | レクチャー | comments(2) | trackbacks(0) |
広告についての真面目じゃない話
 パロディについてレクチャーする筈でしたが、予定を一部変更。ついでにタイトルも一部変更してみいました。本日は賭博的側面から考える広告です。

賭博的側面?なんじゃそりゃ?って声が聞こえてこないでもないですが、勝手に始めます。

世間一般では会社経営などをやってる方を実業家などと称して「しっかりとした人生設計を持つ、志の高い人物」みたいな扱いをしますが、実はわたくし、この実業家の扱いに学生の頃より一縷の疑念を感じておりました。「しっかりしてるかぁ?いやぁ、彼らは大した人生設計なんて持ってねぇだろ〜。ま、志は高いかもしれないけど、そのぶん我も強いしさ、結構山師っぽいとこあるだろ〜」ってな具合に。

で、現在自分が会社経営に足を突っ込み、おっつけ周りにも会社経営をしている方々が増えまして、彼らから色々とお話をお伺いしているうちに確信を得たんです。『うん。やっぱり実業家ってのはしっかりなんてしてないし堅実でもない。やっぱ、ばくち打ちだわ!」
そのような確信です(笑。

つまり学生の頃、周囲の大人たちを密かに観察しながら考察に及んだ実業家理解はほぼ正しかったのです。そりゃそうですよね。種類は問いませんが、商品仕入れて(作って)、それに利益を乗せて売るってのが商売の基本的な構造ですが、お金かけて仕入れたり作ったりしたものが売れるかどうかなんて結局のところ確約も何もないのですから所詮博打なんです。

もちろん見込みや予定は立ちます。立たなきゃ商売は出来ません。しかし見込みは所詮見込みであり、予定は所詮予定です。確約でも保障でもありません。

で、博打ですが、ボクは十代の後半からの数年間を麻雀にのめり込みつつ過ごしまして、地元札幌のほうぼうで無頼な勝負を挑んでおりました。南に猛者がいると聞かば倒しに行き、北にチャンピオンがいると聞かば殴りかかって行ったのです。もちろん麻雀で(笑

正直な話、勝率のほうは上々でした。負けらしい負けもなく数年間の麻雀熱狂時代を終えまして今じゃ滅多に麻雀牌を手にする事もないのですが別に麻雀が当時強かったという話をしたいのではなく、その麻雀賭博にもボクは見込みや予定をもって臨んでいたし、その見込みや予定(読み)をより堅実なものとするために色々と努力もしていたし、そういう意味において当時の賭博行為は会社経営にも一脈通じているということを証明したいのです。

ま、ボクが証明するまでもなく会社経営をしてらっしゃる方々は経営の博打的側面を自覚してらっしゃると思うので証明そのものはここでやりませんが、当時のボクが無頼な賭博行為に対して持っていた見込みや予定をどのように堅実なものとしたのか触れておきますと実はそこんところが広告なのです。西蔵という麻雀経営をしている者が行った宣伝広告です。

でも麻雀プレイヤーには店舗も事務所もありませんし、営業品目は麻雀だけなので広告を打つメディアは自分自身です。顔や声や表情、態度、立ち居振る舞いの広告化と言い換えてもいいかも知れません。隙や弱気は一切なく、どのような窮地に立っても揺るぎない自信を持って勝負に臨む西蔵という広告をそこに貼り付けるわけです。実際、この広告は大した効果がありました。って言うのは実のところボクの麻雀の実力なんぞ全然大した事なくて、頑張っても精々が中堅クラスです。勝負の間だって随分とびびりながら見知らぬ他人を相手に対峙してきました。ボクより巧い奴なんてのも対戦した中にゴロゴロといました。でもそいつらに連戦連勝して来られたのは ひとえに自分にベタベタと貼り付けた『揺るぎない自信をもった勝負師・西蔵』って広告の効果が絶大だったからです。

本当のところはぎりぎりのところでいつも勝負をしてたんですが、ボクの顔や態度や立ち居振る舞いには『無頼漢・西蔵。どっからでも掛かってきなさい』みたいな広告が一杯貼り付けてあるので対戦している相手にはボクのぎりぎりさが見えないらしく、有利に立っていた筈の相手が勝手に自滅してくれたケースなんても珍しくありませんでした。

さあ、そして本当の広告ですが、やはり自信に溢れたものでなくてはなりません。
会社経営は博打なんですから。絶対に付け入られるような隙を見せず、仮に窮状に在ったとしてもそれを悟られてはなりません。隙が見えたり、窮状を見透かされたりすると勝てる勝負にさえ負けるときがあるのです。そして窮状にある者はそれを糊塗するために無用に喋り、動きまわり、落ち着きをなくすものです。ですからあなたが打つべき広告は落ち着きのあるものでなくてはなりません。広くもない紙面メディアの中でずらずらと商品説明をやらかすのは窮状をばらす落ち着きのなさと見る者だっています。堂々とシンプルに解りやすく、そして目立つように自信に溢れた我がコンセプトを打ち出してください。さすれば自ずと良い広告になる筈ですよ。

| 10:18 | レクチャー | comments(0) | trackbacks(0) |
広告についての真面目な話4 〜同業他社がよくやる手口は死んでも真似しない〜
おい、このネタまだやんのかよ!
みたいな声が聞こえないでもないですが(笑)、勝手に続けさせていただきます。

で、まぁ、広告を打つ事にしました。さあどんな形の広告を打つべきかと考えた時に皆さん大概 同業他社のやってる事を記憶の表層に引っ張り出してきます。A社とD社はこうやってる。B店はああやってる。C君の場合はいつもオーソドックスなパターンだよな。うちは、そうだなぁ、A社D社の路線で基本行って、それをもうちょっとばかしお洒落にして…なんて具合に。

しかしこれ『ブーッ』です。ブーッてハズレ音です。
このパターン、よほど高度なアレンジでもない限り九割がた同業他社の広告の合間に埋もれて終わりです。間違いないです。断言します。

更に言えば自社を際立たせる効果はなく、その副作用で他社が打ち出したオリジナルな広告の足を引っ張ることだって出来るんです。たとえば元ちとせって歌い手さんが業界のセオリーなどブッ飛ばして売れっ子になっちゃうと何処のレコード会社も元ちとせ路線(似たタイプ)の歌い手さんを一斉に売り出しに掛かります。無論、元ちとせさんのセールスに影響が出ないわけはなく、最初から元ちとせさんを支持してきたリスナーにとっては改めて元さんのONE&ONLYなオリジナリティが認識されるもののやはり市場全体を俯瞰した時に元ちとせさんの存在感が薄れる事は否めません。

そのようにマーケティングとはある意味ずいぶんと出鱈目なものであり、マーケティング方式ではONE&ONLYを生み出すことは不可能であり、ONE&ONLYは最初からマーケティング方式の対応外です。しかし現代はどの業界もマーケティングがはじき出したデーターやら数字やら傾向やらに振り回されているだけの小賢しいセールスを第一義としているのですから、その手口を踏襲したところでONE&ONLYには死んでもなれないのは言うまでもなく、同業者他社の狭間に埋もれたくなければ、なんとかして、どうにかしてONE&ONLYになるか、小賢しいマーケティング方式のセールスに他社よりも大金をつぎ込んで同業他社を出し抜くかの二通りしかありません。

このブログを読んでいる人は十中八九後者ではないと存じますので話は早いですね。そう。ONE&ONLYを目指すしかないのです。親が資産家で〜なんて方は黙って後者となってください。それが公平と言うものですから(笑

ワン&オンリーですから他社(他者)の真似は死んでもやらないで下さい。譬えば自分のやり方が少々非効率的で、チョットばかりダサいだろうか?と疑問に思おうとも効率的でカッコの良い他社(他者)を真似しちゃダメです。ま、十歩ぐらい譲って営業本体は他者のよりよい部分を取り入れるのはOKとしましょう。って言うかそのほうがいいですよねきっと。

だけど!広告に関しては死んでもありがちな手口や方法を同業他社のそれから模倣したりしないでください。真似した時点で同業他社からは『我が軍門に下ったか!ガハハハハ』と見下され、市井の潜在的顧客の目にも留まらなくなります。

ONE&ONLYな広告を展開する事は実に容易なんです。鋭意努力することも不必要だし、不断の練磨努力なんかも要りません。あなたはただ依頼し、決断すれば良いだけです。
目立って、
他者(他社)と違う意外性があって、
でも営業本体のコンセプトはしっかり押さえてある宣伝広告を制作できる真っ当なデザイナーに依頼すればいいだけです。ね、かんたんでしょ。

別に「Tデザイン社へどうぞ」って言ってるわけじゃありません。ボクよりE仕事するデザイナーなんて世の中に沢山居るでしょうから。ま、石垣島にはそういないけど。真っ当な仕事やれるデザイナーは2〜3名ってとこかなぁ、島の中で探すと。あとは基本からやり直してこい!って感じの人多いんだよね。デザイナー歴三ヶ月とかね。アホかって。そんなのデザインしてたって言わないだろ、フツー。ま、実名とか出しませんが(笑

ともかく、お金かけて作る広告で人の真似するなんて無意味なだけでなく状況を悪くする事だって大いにありうるのでやめましょう。でもパロディはありです。有名な作品をパロっちゃうのは面白いの出来ますからね。

明日はパロディについてやりますか!広告について真面目な話5として。
でも書いてるほうもそろそろ飽きてきたんで本当にやるかどうか自信ありませんけどwww
| 08:44 | レクチャー | comments(6) | trackbacks(0) |
広告についての真面目な話3 〜宣伝広告のタイミングと条件〜
 過日、友人と話していて飲食店のネタが展開して、当然どこの店の何が美味いとか不味いとか、何処の店の接客が良いとか悪いとかみたいなネタが尽くされることになったのですが、そこで友人いわく。
「不味い食事を出す店は論外として、どこそこの店が美味いなんて言っても結局ね、美味い店同士比べちゃうと何処かだけ飛び抜けて特別に美味いってわけじゃないんだよ。石垣島でも東京でもそれは一緒で、じゃ例えば美味いもん出す店が10店あって10箇所まんべんなく行くわけにもなかなか行かないのでその中からよく行く店ってのが二つか三つに決まってくるんだよね。じゃ、どうやって決まるかって言うと料理とか接客と関係ないところだったりしない?」

みたいな疑問形を振られたんでつらつらと考えてみたところ本当そうなんです。

石垣島にも美味しいものを出すお店は幾つもあるし、それぞれジャンルも違ったりしますが、よく行く店ってのは当然その中から選ばれて、そんでもって店のマスターやスタッフと気が合うとか話が合うとか、オーナーが面白い人だとか、その店で使ってる食器や道具に興味を覚えたりみたいな理由付けが必ずそこにあります。

で、これの極端な例がボクの周りには以前あって、それはトある洋食屋さんの常連さんなんですが、よくよく話を聞いてみるとその人、洋食が好きなわけじゃないって言うんです。実は和食が好みなのだと。じゃあ何故に洋食屋の常連なのかを問いましたところ、店のオーナーシェフととても話が合うので通っているとの御回答を頂いたんです。

ってここまでは前振りです。
でもこんな前振りをしたからと言って飲食店の吟味をやらかしたいわけじゃありません。
じゃ何かと言うと、広告の意味です。その意味をこのまま飲食店を引き合いにして説明しますと、ボクも含めて世間一般が飲食店選択の大前提としているのは『美味しい』ってことであり、罰ゲームでもない限りわざわざ不味い食事を出す店に行く人はいません。つまり美味いってのは選択理由の決め手ではなくて選択条件のひとつに過ぎません。

選択条件としては他にも接客や内装の趣味やトイレが快適か否かなんてのもありますよね。他にもまだあるでしょうし、それら各項目がもつファクターの大きさ深さは人によって異なるのでここでは言及しませんが、ともかくも美味いだけで店内に客は溢れ返りません。ってことは、「最近お客さんが少ないよなぁ〜」なんて思ったらそれら各項目に弱点がないか自店の営業のあり方を今一度省みる事をお奨めいたしますが、全項目弱点らしい弱点も見当たらず「何が悪いのか全然わからん!」てなった時こそ広告の出番です。

広告で嘘はつけません。嘘をついてつけないこともありませんが、嘘だとバレた時のダメージの大きさを考慮するなら嘘をつくべきではありません。ですから弱点らしい弱点はないのに思い描いている理想や希望と現実が乖離し始めたら迷うことなく広告を打ち出すべきでしょう。広告の第一のタイミングは頭の一発目であり、スタートダッシュを決めるために勢いをつける為に誰しもやりますよね。そして第二のタイミングが乖離の開始時です。このタイミングで行う方もやはり多いのですが、ここは実は打つべきか否かの見極めが難しいところでして、前述したようなチェック項目にあきらかな弱点があるのに(例えば料理が不味いとか接客態度がよろしくないみたいな)宣伝広告でその弱点を糊塗するような結果になるとそれは明らかに逆効果となるからです。

いくら資金潤沢でも弱点だらけなのに宣伝広告を打ち出しまくるようなことをやってしまうと短期的にみれば客は増えるかも知れませんが、長期にはとても耐えられません。だって世間一般ではそういうのを『恥の上塗り』と言い表しまして、上塗りが剥げないうちはそれなりの効果をあげるのですが、上塗りは所詮上塗りなんで厚ぼったくなってくると非常にみっともないし耐久性にも劣ります。上塗りしているのがなかなかばれずに厚ぼったさが増せば増すほど軽い衝撃にも耐えられず剥げ落ちしてしまうでしょう。

ですから弱点をちゃんと克服した上で広告を打つべきであり、現代ほど営業姿勢や事業内容の真っ当さを問われる時代はないのであり、広告は真っ当であるあなたを脇からがっちりとサポートできる技なのです。マスターの話がいくら面白くても来店してくれたお客様しかその話を耳にする事は出来ません。広告は、行こうかどうか迷ってる潜在的お客様に対し、マスターになりかわって話し掛けてくれるコミュニケーションツールなんです。

ですからボクは誰にでも広告を打つ事をお奨めはしません。その店の営業項目に明らかな弱点のある場合は依頼されてもやりたくないことだってあります。ま、弱点が目をつぶれる程度なら引き受けますがね(笑

| 09:53 | レクチャー | comments(0) | trackbacks(0) |
広告についての真面目な話2 〜訴求力って意味を誤解してる人は少なくない〜

 誰かの目を引けばいい。なんて書きましたが、当然ながら目を引けばいいだけではありません。目を引けばいいだけなら公序良俗に反するようなものをやればそれで済みますから。

じゃなくて、グラフィックを構成する上で付与すべきテクニックは言うまでもなく、その広告の主旨をちゃんと伝えられるものでなければならず、なおかつそこに訴求力を持たせるべきは言うまでもないのです。

で、ここで巷にありがちなのが訴求力って言葉の誤解です。
これは顧客側も制作側も誤解している人が少なくないですね。って言うか結構多いです。例えば新案特許、とても便利な新商品の広告を打つとしましょう。そこのオリエンテーリングで訴求力うんぬんに言及した場合に『いかに便利か』を前面に打ち出すことを訴求力と呼んだりするのですが、それは訴求力というよりは単にそのまんまなだけです。

勿論ストレートで押すことで好結果をもたらす場合は多々あります。
ではなくて広告でいう訴求力とは読んで字の如く訴える力であり、便利であるものを便利だ便利だと連呼するのはある意味土下座的であり、あまりに芸のない、面白みにもアイディアにも欠けた大変つまらないデザインと言わざるを得ません。

例えば便利商品が便利商品としてその地位を確立するためにはその商品がないと不便である状況というものがなければなりませんよね。そしてその不便な状況が日常生活の中のある場面で頻発する類のものであることを広告上で表現できれば当該商品の訴求力となり得るのです。『ほら、こんな状況って困るよね。嫌だよね。そんな時にこれがあれば万事解決っしょ!』と簡潔に言うとそのようなことになります。

これをただ単に便利だー便利だーと連呼し、商品説明をびっしり書き込んでも誰も読まないし、タイトル文字を少々大きめにとって金赤の塗りをいれたり、商品コピーをバクダン囲いにしたところで商品の便利さを訴える有効な手段とは呼べないでしょう。


チラシやフライヤー、リーフレット、ポスターなどの広告の第一義は『見た人の記憶に留まること』なのです。何をどう表現するかでおしゃれにしたり、かっこよくしたり、逆に洗練されてないものにしてしまったり方法論や考え方は様々ですが何をやろうとも見た人の記憶に留まる力を持ち得ないものは良い広告とは呼べません。そこに留めようとする力。それが訴求力です。単に派手で目立つだけだったり、連呼型で機能を歌ったりするだけで訴求力は確立しませんのでお間違いのなきよう。

例えば単に流行りのテイストが欲しくて洗練されたものにしたいなら巷で話題の流行の広告みたいなのを数点持ってきてそれを真似(準じたものに)すればいいし、上品にしたいなら文字を細くて小さめの配して写真を綺麗に並べ余白を一杯とってやればいいんでしょう。でも、ありがちなことありがちにやっても誰も目を留めてはくれません。例えばエステ関連の広告って100%品よさげですよね。イメージ写真に綺麗でスリムな女性使って、細めのおしゃれな書体でタイトルつけたりコピー流したりして全体に柔らかめの配色として、ちょいとビビットな刺し色を適に使ったぐらいにして10社あったら10社ほとんど変わり映えのしない広告が並んでおります。で、この10点の広告を順番に見ていって何か残るでしょうか?例えば「さあ今日これからエステに行くわよ。どこか探さなきゃ』って人は10点を並べて吟味してくれるかも知れませんが、エステに行く事にさほどの切迫感をもってない方なんかは流し読みして終わりで、10点まとめての印象が残るくらいでしょう。

広告はそれじゃダメなんです。

さほどの興味のない方や潜在的な購買層を掘り起こしてこその広告であり、興味のある人はどうやっても最初から興味があるんで向こうから勝手にやってきます。そうではなくて、まだ色のついてない人に自分とこの色をチョイとつけてやれるか否かが宣伝広告の良し悪しが分かれるところと思ってください。

色の付け方にも色々あります。目の前に突如現れて逃げる暇も与えずペンキをかけちゃってもいいし、歩き去ろうとする人の服のすそに一片の色彩を気付かれぬよう付けてもいいのです。とにかく記憶に残る事。それが宣伝広告が持つべき最低限の使命なんです。告知広告なんかは又べつだったりするのでそれはそれでまた違った使命がありますが、すっかり長くなっちゃったので今日はこれにて。

尚、これを読みまして広告についてご質問が生じましたり、ご相談などがある方はTデザイン社へお気軽にご連絡ください。ご相談は無料ですから(笑

Tデザイン社 TEL:098087-8283   mail : soul@kph.biglobe.ne.jp

| 09:41 | レクチャー | comments(0) | trackbacks(0) |
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