Tデザイン社 西蔵電気筆録

沖縄県は八重山郡 石垣島に開設したデザインオフィスから発信する業務日誌改め、ドイツはミュンヘン市に居を移して発信する

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何はともあれギネス記録達成には祝辞を送りたい
 前々々々回ぐらいに批判記事を書いた石垣島BBQ大会が先日 予定通りに執り行われ、記録挑戦の現場にてすったもんだの二つ三つあったものの、催しの目的であったギネス記録を無事達成したようなので本稿は祝辞で記事を埋めてみようかなと思う次第。

おめでとうございます石垣島!
って言うよりは、おめでとう石垣市長。おめでとう石垣牛の生産者の皆さん。ご苦労様でした石垣市商工会や市職員の皆さん!ってところが実際的なわけで、この催しへの批判記事を書いたボクなどは完全に門外漢だし、先日も某所で市長に出くわした際に挨拶をしたところほぼスルーされる有様であるから気分的には祝辞を述べる気になどならないのだけど、そこは、ま、社会人として抑制をぐっと利かせてみようと思います。

石垣島BBQ大会当日、そんな経緯ゆえにボクはBBQ会場へ行く筈もなくて、所用にて出向いた先々で旧知の方々とお会いしたわけだけど、当然のごとく挨拶に続く話はBBQネタ。彼らにしてBBQ大会へ行かないくらいだから大方のところのBBQ大会批判組だったりして、彼ら彼女らがそれぞれに語る批判理由は大別すると二通りでした。

いわく。金(税金)の使い方がおかしい。変。
石垣牛の宣伝・観光誘致のための恰好の材料などと言うが開催理由として全然釈然としない。費用対効果の試算がちゃんと出来ているのか?開催二日前になって四倍にのばせる串の長さ競争になんか意味があるのか?と言う具合の理論派が第一組であり、続く第二組は311の震災と原発事故を憂う感傷派とも言うべき人たちです。

いわく。ついこの前、何万人もの隣人が非業の死を遂げ、何十万人の人たちが食うや飲まずの生活を強いられ、その悲惨な状況を考えるにBBQ大会だの、一万人で石垣牛を食らい尽くすだの、骨投げ競争(このイベントは大会前に批判に晒されて骨がレプリカに変更となる)だのと諸手を挙げて心の底から楽しめるわけがない。開催はせめて来年(311から一年の喪が明けて)にして欲しかったというもので、これらの意見は女性に多かった印象があります。

ま、言っちゃえば何をどう企画しようと催そうと批判は必ずついて回ります。それは確かです。しかし今般のBBQ大会の企画運営にたずさわった方々がそのような言い草で批判と正面から向き合わないのであれば、その意義や宣伝効果や経済効果において今回以上のイベントは出来ないと知るべきでしょうね。と言うかボクはそう断言しておきます。

素朴な疑問ですが、ギネス記録なんて今どき誰が注目するのでしょうか?

ま、もし仮に一定数の注目があるとして、そんなものは記録の更新と共によそに移っていくだけのこと。ましてや今イベントはほとんど地元しか集まらなかったわけで、一部マスメディアの取材や問い合わせがあったにせよ、その開催費用と開催のために掛けた手間と時間を考えれば大きな宣伝効果があったとは言い切れないのではないでしょうか。

終わってしまったイベントをくさすほど野暮じゃございません。でもね、反省と総括は必須でしょう。反省のないところに進歩もないし、批判のないところには変化も成長もありません。ま、もし大会主催側の皆様が『今大会は大成功だった!すごいよ俺ら!大したもんだろ!俺たち最高!!!』みたいに思ってるのならボクは何も申し上げません。どうぞ自画自賛のぬるま湯にゆっくりと浸かっていただき、できればそのまま湯船から上がらないでいただければ、なんて思う次第。

否、妙な嫌味は無用でしょう。BBQ大会を成功に導いた皆さんはきっと大いなる批判と反省にその身を晒し、来期へと続く同イベントを更に良いものに、更に意義深いものに、もっと多くの人が楽しめるよう既に準備は始まっているのであろうとボクは確信しております。


今般の大BBQ大会の成功、本当におめでとうございます。
中山市長、今度お会いした際はこんな面倒くさいことをいう男ではございますが、一瞥くれてやるだけでなく どうぞ握手のひとつもしてやってくださいまし。よろしくお願い致します。

BBQ大会前に批判記事を書いた手前、これをもって一応のけじめとさせていただきます。
石垣市職員の皆様と石垣市商工会の皆様の更なるご活躍を期待して。




| 21:03 | 石垣島 | comments(2) | trackbacks(0) |
石垣牛 大バーベキュー大会を批判する
以前にも少し触れたが、今年の11月 石垣市長肝いりで石垣牛を使った大BBQ大会が催されるそうだ。元々の計画ではギネスに挑戦と銘打って肉10トンを二万人近い参加者で平らげるという話だったのだが、ギネス記録を狙うには10トンどころか13トンの肉が必要という事になってあえなく断念。それでも何故かギネスにこだわる市長サイドが今度は串焼きの長さでギネスに挑戦すると言い張り、9mだか10mだかの石垣牛の串焼きを作って市民みんなでそれを食べてギネス記録をつくり、そんなビッグで魅力的なイベントを日本中に広く告知し、石垣牛を広く知っていただき、それをもってして近年落ち込みの続く沖縄観光・離島観光再浮上のための呼び水にしようというそれ相応にポジティビティ溢れるお話である。

この話の要点は三つ。

まず、ギネス記録に挑戦ってこと。
二点目は石垣牛をセールスしようってこと。
で、三点目が観光誘致の起爆剤にしたいと市長サイドが目論んでいるという事。

最初のギネス記録はどうもこうもない。単なる記録の話であり、そこに有名(なギネスブック)とか権威(あるギネスブック)とか色々と余計な肩書きをくっつけようとも記録は記録でしかなく、良いも悪いもない。記録の登録に掛かる諸費用も取り立てて騒ぐほどのものでもないだろう。だが敢えて言うなら今更なぜギネスなのだろうか?

はっきり言えば時代遅れだ。時代遅れで構わないものも世の中にはあるが、ギネスの如きただ単に数量くらべの世界一争いなんてものは、エコだ環境だスローライフだとやってる時代にはまったくそぐわないし、数量争いなんちゅうものは所詮は男根の長さ比べでしかなく、婦女子からくだらないと言い切られてしまえばそれまでってお話でしかない。


二点目の石垣牛のセールス。これもちょっとおかしい。変だ。妙だ。
なにがチョット変で奇妙かって、もしも本気で石垣牛をセールスしたいのならば島外に持ち出すべきなのだ。島の外へ肉を大量搬送し、各都道府県の財界人や為政者を前にして焼いて煮て食べさせて、そこで一席ぶてば良いのである。「セシウム汚染牛が問題となっている昨今、我が石垣牛は安心安全の上に極上の旨さでございます。貧乏人には汚染牛でも食わせておきましょう。だが皆様の如きセレブの方々には選んでいただけると私は確信しております。石垣牛。少々高値でございますが、被曝の怖れはございません。検査なしで安心して食べていただけます。どうぞ皆様、石垣牛をよろしくお願い致します」と45秒ぐらい頭を下げたままステージ上で立ち尽くせば石垣市長は希代のヒーローである。今や日本じゃそう簡単に手に入らない安心で安全な牛肉を供給してくれる英雄である。石垣牛を本気で売り込みたいなら何故そうしないのかボクには不思議でならない。


第3の観光誘致の起爆剤。
これは論じるまでもない。笑っちゃうぐらいの話でしかない。食糧難の戦後まもない頃じゃあるまいに、ギネスに挑戦と銘打とうと打つまいと今時BBQ大会で観光客が大規模に誘致できると思っているなら御目出度いとしか言いようがない。なればこそ観光誘致の起爆剤なんて事を市長がマジに言ってるのだとはボクは捉えていない。ギネスとかセールスの体裁をもっともらしく整えるために仕方なくでっちあげただけだと思っている。だいたいが、一年に一度だけやる大BBQ大会が日本全国に知名度をもつなんて事がある筈がないし、仮にあったにせよ、狙ってそれが出来るならば全国の自治体に過疎や観光客の減少で苦しむ市町村なんて一個もなくなるだろう。


ま、今般の石垣牛BBQ大会が間違っても我田引水なんて話じゃない事をボクは願っているし信じている。市長の選挙を応援したお仲間に石垣牛取扱い業者が多数いるなんて事はこの話と無関係であると胸を張って主張し、本稿の締めとするものである。
| 13:31 | 石垣島 | comments(7) | trackbacks(0) |
今いる場所の意味を初めて考えてみた
今いる石垣島に流れ着いたのは95年のことだった。阪神大震災が起こり、サリン事件を起こしたオウムの麻原が逮捕された動乱の年だ。

世の中では随分と碌でもないことばかりたて続けに起こるものだなぁ。くわばらくわばら。などと念仏のひとつも唱えつつも夏が来たのを確認したのちにボクは自転車にまたがり、北海道は札幌を発ち、そこからひたすら南下を続け、道すがら全国各地で野暮用の三つか四つか五つぐらいを足しつつ、二ヶ月余りの時間をかけて陸路(航路を含む)を進みて沖縄県は石垣島へと辿り着いたわけであるが、当初からボクにはひとつの疑問があった。

なぜボクは今此処にいるのか?

元より旅行であるからボクは札幌へ戻ろうと画策していた筈なのだが、気がつけば嫁をもらい、慎ましやかではあるが石垣島で暮らしなどを始めているではないか。考えてみればちょっと奇妙奇体なことであるよなぁと我ながら思ったり。

では何を以って奇妙奇体かと言うに、ここで奇妙奇体と対置されるべきは「汎」である。汎とは『広く一般に行き渡ったもの。またはそのかたち』であれば汎においては旅先にて嫁をもらったりはしないし、辿り着いたる三千キロ向こうの地にて唐突に暮らし出したりはしない。嫁をもらうにもそれ相応の助走期間を経つつ互いの親に会いに行ったりだとか、友人知人に紹介したりだとかやるわけだし、ましてや着替えやタオル歯ブラシぐらいしか持たぬ軽装の者が見ず知らずの土地で暮らし始めるとは少々思慮に欠いてると言われても致し方ないだろう。

ま、それでも如何に思慮に欠けていようとも前例が極めて少なかろうとボクは現にそうしているわけで、この一連の流れはボクにとって汎である。

しかしだ。今ひとつ腑に落ちないことが石垣島暮らしの当初よりあって、それは何かと言うと『理由』である。暮らしをここで始めようとしたその理由だ。なんなればボクは故郷札幌で結構首尾よくやっていたのであり、腹を割ってなんでも話せる友もいれば、二晩も三晩も徹夜をして互いにどろどろになりながら麻雀をやり続けるようなアホな仲間もいたし、旅が終わったらいつでも戻って来いと言ってくれる元の勤め先もあったし、恋心を告白してくれる女性だって何名か郷里にはいたわけで、要するにボクは札幌の暮らしに特段の不満とか弱点があったわけじゃないから札幌に戻らぬ理由など何ひとつなかったのだ。

それがなにゆえ石垣島なのか。それもあまりに唐突に。

そう。我ながら若干唐突な観は拭えなかった。何がそんなに気に入っちゃったのだろう?何がボクの足を止めさせたのだろうか?人?文化?風土?海?自然の豊かさ?いや、人はともかく文化や風土に特段惹かれているわけじゃないし、海は水浴びする程度の興味しかないし、自然の豊かさを比べれば広大なぶんだけ北海道に分があるかも知れない。

確かに人は大好きだ。こう言っては怒られるかも知れないが、この界隈の島々に暮らす人々はボクにとって汎の定規で計れぬ良くも悪くもハチャメチャな人たちである。本土的なジョーシキとかセオリーが通じぬ実に興味深い方々ばかりであり、彼らに多大なる関心を寄せているのは間違いない。

しかし、そうは言っても郷里にいる友や家族だって同等もしくはそれ以上に愛おしいわけで、人が好き、人に興味があるからと言ってこの地に十数年も暮らし続ける正体不明の理由のその回答には少々弱い気がしていた。一体何がボクの足をこの地で止めさせたのか?

それがどうしてもわからないまま、保留にしたまま在石垣島16年目を迎えた今年、またも震災と大事件が起きた。東日本大震災と東電原発事故だ。

不謹慎のそしりを免れぬかも知れないがはっきり言おう。95年ボクは、大勢の人たちの命を奪った阪神の大地震と凄惨なサリン事件に突き動かされるように旅立ち、その16年後に再び起きた大震災と今後更に凄惨を極めることになるであろう原発事故を目の当たりにして保留案件が動いた気がしたのである。

今またとんでもなく碌でもないことが起きて、直観的にボクは感じている。ここにいる理由とはもしかしてこれなのかと。今はまだはっきりと言うのは避けるが、そこに間違いなくすじみちは存在したのだ。


断っておくにボクは神も悪魔も信じていないし、オカルトの信奉者でもなくましてやエスパーでも霊能者でもない。それは請合う。だが、何がしか避けがたい流れと運命みたいなものを微弱ながら今ボクは感じ取っている。それが思い過ごしならそれはそれで構わないだろう。何をどう感じようとボクの勝手であり、ボクはボクの人生の上に居るばかりだ。

だが、なんであれボクが今ここいる理由がおぼろげながらわかって、少しだけ溜飲を下げている。今は島にいながらこの大災禍の事態を見守るばかりであるけれど、切に願うはメルトスルーまで起こしている放射能が一刻も早く冷えることだけ。

原発事故現場にて今この時も踏ん張っているであろう皆さんの健闘と健康を祈って
| 03:38 | 石垣島 | comments(2) | trackbacks(0) |
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