Tデザイン社 西蔵電気筆録

沖縄県は八重山郡 石垣島に開設したデザインオフィスから発信する業務日誌改め、ドイツはミュンヘン市に居を移して発信する

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非国民のススメ ー第1回ー
最近どうも肩こりが酷い。疲れやすい。疲れが抜けない。いつも下痢気味である。咳が何週間も止まらない。そんな症状にお困りの方はいらっしゃいませんか?

それらはもしかしたら低線量被曝のせいかも知れませんが、きっとそうなんじゃないかとボク個人は考えいますが、今節は敢えてそれとは違う病因に言及することと致しましょうぞ。ではその病因とは何かと言えば、冒頭の軽度不調の要因となっているのは貴方の属性が立派で真っ当な社会人だからであり、立派で真っ当な社会人の上に更には遵法精神による行動規範を自らに課す極めて模範的国民だからではないかとボクは考えています。

真面目で誠実で一緒懸命なのは確かに社会的評価が高い。それは間違いありません。それは鉄板です。

しかしながら社会的評価を高めで維持したいが為に、本来堕落して、エロくて、狡いことばかり画策しているもう一人の自分を貶め疲弊させていることに多くの国民はとても無自覚なのもこれまた鉄板です。

斯く言うボクも結構無自覚です。他人の無自覚さを問うわりにはなかなかどうして無自覚です。どんなふうに無自覚だったのかというと、バカみたいな大声で歌って、ハードスプレーで髪の毛逆立てて、アイライン真っ黒で化粧して、腰からジャラジャラと鎖垂らして、俺はPUNKだとかやってたのも、とどのつまり、他人から褒められたかったり認めて欲しかったりしただけなのです。

ま、前述の『社会的評価高めを維持したい』って意味からは外れますが、要は表裏一体で、なんであれそのような無自覚な我が身のふるまいは、本来のアホだったり バカだったり だらしなかったり エロかったりする精神に知らず知らずのうちにダメージを与え、いつまでもそれに無自覚だとダメージは積もり積もって、往々にして欝になっちゃたり統合失調症になっちゃったりするわけです。

立派な社会人で、立派な国民であることを自分に強いるのは斯くも過酷なことなのです。そんなこと続けてたら病気にもなるでしょう。心身一如(しんしんいちにょ)であれば癌にも掛かる方もいるでしょう。白血病になったり心筋梗塞になったり糖尿病にかかる方もいるでしょう。そうなるまえに手を打たねばこの国の健康保険制度は崩壊します。(ま、そのような見通しがあるから政府はTPPに参加して現行の保険制度の息の根を止めようとしてるのかな?)

では、どのような手を打てばいいのか?

蓋し、私は非国民のススメを皆様に説いてみたいと存じます。つまり本来の資質であるアホバカエロを率直に受け入れつつ生きるススメです。ご立派な国民であることなど辞めようではないかと言うススメです。

立派で模範的で遵法精神にあふるる社会人じゃなくても全然いいではありませんか。政府の代わりに国益なんか考えなくてもいいのです。中国が攻めてくるとか、いちいちそんな事に心を砕く必要はどこにもないのですよ。そんな国際政治のことばかりでなく、例えば日常においても、約束の時間に5分遅れても世界がひっくり返るわけでもなく、ましてや他人の失敗や過ちを責め抜いたからといって責めた自分の人格に徳性が帯びるわけでもありません。実際はむしろその逆です。

失敗し、間違い、過ちを犯した他者を責めれば責めるほど己の首を締めているに等しき行為であることを立派な社会人の方は忘れているのです。他者のアホでバカでエロいところを責めれば責めるほどに自分自身が持っているアホでバカでエロいものの首を締めているのです。だから他者や周囲のネガティブを見つけ出せば出すほどに苦しくなる。


はっきり申しましょう。
ボクがここで開陳する非国民のススメを否定し、あなた自身がどれほど立派でしっかりした価値観とモラルを持っていると主張しようとも、この世界はあなたが信じて疑わない立派でしっかりした価値観とモラルで動いているわけではありません。むしろその反対のものがこの世界をドライブさせているのです。

そう。バカでアホでエロいものが。

更に言えば出鱈目で狡猾で言葉巧みなキチガイたちが世界の指導者であり為政者たり得ている事実。

ということは、あなたが立派でしっかりした社会人で高いモラルを持ち国益なんぞをちらりと考えつつ行動するならば、それはアホでバカでエロくて出鱈目で狡猾でキチガイな指導者と為政者たちを喜ばせているだけでなのです。

そんな連中を喜ばせるよりは自分自身を喜ばせてあげましょうよ。ね。
アホでバカでエロい自分自身をもっと認めてあげましょうよ。それが健全というものです。




| 13:28 | 立派な大人のための童話 | comments(1) | trackbacks(0) |
曇天、日本海 波高し、機関部に重大な損傷、資質なき船長があやつるニッポン丸のゆくえ
原子力エンジン搭載、総排水量一億二千万トンのニッポン丸が蛇行を始めてから十年あまりが経った。もはや修理の見込みすらない機関部のアクシデントを隠すことに努め、一定の功を奏した小泉という船長がかつていたが、隠しきれないと悟った彼は船長の座を後進に禅譲し、そそくさと船橋から姿をくらました。

それから致命的な故障を抱えたニッポン丸の船長は短期間のうちに次々と変わり、船員をはじめ乗客のほとんどはその名前すらよく覚えていないが、そもそもニッポン丸の運行が船長の指揮統制下にあるのかと言えば実に怪しげだ。彼らの言動を鑑みれば彼らは無能だからこそ船長に指名され支持されているとしか断じられなかったし、その無能さゆえに重大な機関損傷を彼らが隠しおおせる筈もなかった。しかし、権力に楯突かない訓練を施され、乗船時にも船舶運行者の指示と命令に従う書類に署名捺印してある乗客たちが、蛇行を隠す船員たちに異を唱えることはなかった。

なかには蛇行操船に気づき告発する者たちもいたが、多くは上級船員たちによって懐柔されて言を翻したし、それでも黙らぬものはそうっと目立たぬよう夜間の甲板におびき出され漆黒の海中へと沈んだのである。

いくら告発者を黙らせようとも重大な機関部の損傷は隠しきれず、迎えた3月11日の未明に原子力エンジンが爆発し、核の粉塵を巻き散らかすこととなったのは皆さんの記憶にも新しいところだろう。飛散した核の粉塵は大気と海洋にばらまかれただけでなく、ニッポン丸の船内にも充満した。

核の恐ろしさを納得しているものは、爆発を起こした船内下部には近づかずこうとせず、客室さえ離れ 甲板へと上がったが、多くの乗客は船長が発する根拠無き安全運行可能宣言を受け入れたし、それを受け入れる以外の選択肢を持ち得ている筈もなかった。

ニッポン丸には乗客ほぼ全員を避難させうる救命ボートを積載していたから逃げ出そうと思えば逃げ出すことは可能なのだが、逃げ出せばちっぽけな救命ボートを手こぎで進まねばならず、巨大客船ニッポン丸に居残れば気楽な乗船客としての立場を失うことはない。下級船員を呼びつけ、運行状況は改善されておるのかねと問い質し、文句を言う自由がいつまであるのかわからぬし、いつ船長権限で機関部の修理班に回されるかわからぬもののその時がくるまで気楽であることに変わりはない。それだけに自分にお鉢が回ってくる懸念なき高齢の客は横柄にさえなれる。

高い乗船代金を支払った乗船客として居残るのか。それとも救命ボートで漕ぎ出すのか。

ニッポン丸が沈むその瞬間まで船長はそれを告げないかも知れないし、船長としての資質に欠けるものであるほど沈没を告げるタイミングは遅れるだろう。でもそれは悪意ではないのかも知れない。運行管理の建前上の最高責任者としてニッポン丸を最後の最後まで守ろうとしただけなのかも知れず、賛意を示す者さえ乗客の中にはいるだろう。でも、賛意を示すものは運良くも沈む巨大客船と運命を共にせずに済んだものであり、船体と共に海中へと吸い込まれた乗客は何も語らない。

語る者と語らぬ者。
あとに残るのは声をあげた者の物語ばかり。

| 17:36 | 立派な大人のための童話 | comments(1) | trackbacks(0) |
裸の王様。笑われるべきは実は王様ではなく、王様は裸であると笑っている家来や民衆のほうかも知れない【番外編】
果たしてボクらは幸福で満たされているのか。

ボクらは正しきことは善い事であると教えられている。ただしき数字(解)を導き出せるよう算数と数学を叩き込まれ、正しき文法と発音を使えるように英語を必修し、正しい漢字を覚えるよう義務付けられ、文学作品や美術作品を観ては作者が描こうとしたテーマを正しく理解する旨申し付けられている。更に言えば正しきことを修めた後は社会に出て政治経済を正しく理解し、それらを滞りなく実践するのが正しい大人であると言うことになっている。

果たしてボクらが身を置く世界は正しきことに満ち溢れている筈だ。
世界に生きる人々の自由と平和を護る資本主義経済が悪の社会主義共産主義を打倒し、良貨を世界の隅々まで行き渡らせ貧困は消滅し、発達し続ける科学と医療が万民の命を救い、命を護り、命をつなげ、希望と自由に満ちた未来がボクらには約束されている…筈だった。

それら正しき世界が実現されていないのは何故なのだろう。

北朝鮮とイランが悪いのだろうか。それとも悪を行うマフィアや暴力団のせいなのか。それとも第三世界と呼ばれる後進国が二酸化炭素を止め処なく排出し公害を垂れ流すからなのか?第三世界が貧困を西側世界に輸出し続けているからなのか?

そのどれもが違うとボクは考えている。
考えれば考えるほど違うとかしか断じられない。
凝視すればするほどボクらの首を絞めているのは北朝鮮の独裁者でもなく、マフィアのボスでも若頭でもなく、はたまた街を徘徊するチンピラどもでは勿論なく、ましてや貧しい世界に住む貧しい人たちでないのは確かだとわかってくる。

ボクらの首を絞め上げているのはボクら自身じゃないのか。
世界に貧困を生んでいるのは富をかきあつめ富を貯め込み、質のよい商品を安価で作るよう第三世界に住む貧しき人々に求め、求めるというよりは資本のチカラで半ば無理矢理にそれを強制し、それは和姦ではなく勿論強姦に等しく、ありとあらゆるエネルギーを独占し、24時間眠らない街を作っては賞賛とエールを送り、ひたすらに富と利便と科学技術を享受し、果てどもない欲求に突き動かされるボクら自身がボクら自身の首を締め上げている。



果たして世界は弱肉強食だ。

いくら現状を批判し、我々がそれを省みたところで西側世界が溜め込んだ富を世界中に再分配できる筈もない。彼らは、おこぼれは投げ与えても共に肩を組んだりはしない。もし仮に再分配しようとしてもやはり貧者弱者の中でも狡猾で力のあるものが多くを手にするだろう。

さりとて再分配などという可能性はあくまで仮定の域を出ない限りなく空想に近い話でしかない。ボクらが生きる資本主義世界とは、富を掻き集め 富を貯めこむのが力のあるものの証しとされ、力はなくも欲求不満をもてあます者たちが強者に群がり、そうして強者のヒエラルキー集団が形成され、強者による強者のための世界なのだ。

何が正しくて何が間違っているのかを決めるのは常に強者だ。弱者は従うよりほかない。寄らば大樹の陰だの、長いものには巻かれろだのと昔から倣わすように強者の側につけばある程度の愉悦を手に入れることは弱者にも可能だったりする。

しかし弱者が如何におもねろうとも仲間の真似をしようとも強者は常に我が保身を第一に考慮して強者にとって正しきことを行使する。

彼らは間違っても弱者のことを慮ったりはしない。

理由は簡単だ。彼らが悪人だからではなく、彼ら強者は常に強者であり続けたいからだ。弱者に心を砕いたり、持っている富を分け与えたりしたら彼らは強者である理由を失ってしまう。富があってこその強者。だから彼らは間違っても弱者の側に降りてきたり歩み寄ったりはしない。至極単純な話なのだが、そんな単純なことも判らないほどにボクらは不感症を患っている。

ボクらが不感症を患った最大の原因は現行の学校教育にある。小中高の12年間もの長き時間をかけてボクらは個人性というものを奪われ続け、クラスメイトと同じことをやるよう考えるよう求められ続ける。皆が跳び箱5段を跳ぶのだからキミも跳ばなければならないと強要される。無論跳ばなくてもいいが、体育の成績は確実に下がる。

皆と同じことを出来ないとテストの点数が悪くなり成績が下がり、親からそれで小言を言われ続け、「一体誰に似て頭が悪いのだ』だの『運動音痴』だの文句を言われ続け、そんなことでは良い大学に入れない。良い会社に入れないとなり、しいては立派で裕福なる者にはなれないという事になる。

そういう環境に長きにわたって身を置くことで誰も彼も見事なまでに不感症となる。他者と違うことを考えるだけで逸脱と思い込み、他者と違うことをやれば立派な社会人としての立ち位置を失うのだから、他者とは異なる自分を捨て去り、封印し、不感症にもなろうというものだ。


王様とは誰に邪魔されようとも、その身勝手で滅茶苦茶でデタラメで他者とはまるで異なる個人性を手放さなかったものが就く位置に相違なく、言ってしまえば王様とはそもそもが裸の者を指す言葉であり、王様なんてものは最初っから裸でしかないのだ。一方、我々民衆はがっちりと長い時間をかけて個人性を剥ぎ取られ、魂や心に皆と同じ制服を着けさせられた者たちであり、確かに裸ではない。しかし世の王様達は、そのような個人性の欠片もない画一的な制服を下々の者たちに押し着せ、皆がそれを喜び勇んで身に付けるのを見ては嘲笑っているのである。

ボクらは確かに裸にはなれないかも知れない。そもそも裸がないのかも知れない。でも、もう少し脱いでいいんじゃないか、薄着になってもいいんじゃないかとボクは思う。





| 14:02 | 立派な大人のための童話 | comments(1) | trackbacks(0) |
社会のピラミッドの上のほうで資本を動かしてる連中を肥やすために自分たちが借金漬け、ローン漬けになってるのにも気づこうともしない最早ただのシャブ中みたいなおじさんおばさんが垂れ流す戯言で耳に鮹ができる寸前
貨幣の本来的意味やその本義本質を知ろうともせず、マネーに溺れ、マネーに隷属して、社会のピラミッドの上のほうで資本を動かしてる連中を肥やすために自分たちが借金漬けローン漬けになってるのにも気づこうともしない最早ただのシャブ中みたいなおじさんおばさんが垂れ流す戯言で耳に鮹ができる寸前のこんなぐだぐだ世界はそろそろ終いにして次なる次元に突入してしまいたいが、なかなかそうもいかないだろうからボクも今少しアイディアと考えと態度を更新しなくてはならないだろうね。

ある意味、楽観していた。
ある意味、諦観していた。
なるようにしかならないし、ならないようにもならないと放置プレーに出ていた。

だが、どうだ。楽観も諦観も放置もこのままじゃすべてが無効にされそうな勢いで世界は逆に回っている。逆回転を始めている。この世界じゃ年間で百万の単位で自殺をし、同じぐらい車に轢かれて人が死に、朝から晩まで働いても家族を養えない人が何億人もいる。惨状とも言えるこんな世界は我々が猿からヒトになって以来初めてだろう。

我々は悲劇の中にいる。
働いても食えない。朝から晩まで働いて、ほんの少しの余暇を与えられてそれで満足せよと押し付けられ、不満を覚えないようにテレビの馬鹿番組と石油で作られた食物の飽食で脳みそも五臓六腑も麻痺させられ、死んだら死んだで内蔵だの眼球だのを取替用に取り外され、さっさとガス窯で焼かれて終わりになるかと思いきや遺族は戒名だ葬式だでバカ高い金をふんだくられる。これが悲劇でなければ喜劇だ。それもかなりブラック度の高い喜劇だろう。

ヒトとしての黎明期。ボクらは医療も持たず細菌学も知らず、死は恐怖以外のなにものでもなかったかも知れない。繁栄と呼べるほどの人口増もなく、人は森の外れでひっそりと生きていたのかも知れない。でも原初のヒトには時間があった。澄んだ湖面を家族で眺めたり、皆で倒した獲物を囲んで語らう時間があった。家族や友の死を何日も何日もかけて嘆き悲しむ時間も、子供の誕生と成長を生涯かけて歓べる時間もあった。

人類学が明かした近年の研究では原初のヒトが狩猟と採集にかけた時間は日に2時間程度であったらしい。それがどうだろう。ボクらは今、一日の半分を仕事に費やしてやっと生き存えている。一週間七日のうちの大半を働くことでなんとか食いつないでいるだけだ。

豊かになったなんて言うがボクらが口にしている野菜の多くは痩せた土に化学肥料と大量の農薬のおかげで収穫できた味気もなく栄養価の低いもので、肉は成長ホルモンで肥大させたものだ。加工食品と呼ばれるものの多くはどこぞの工場のラインで白衣と手袋とマスクとキャップで全身を覆いどこの誰かも最早わからなくなった人たちがそれこそ機械のごとく単純作業を繰り返して作ったものであり、近年の偽装事件を例に引くまでもなくその材料も調味料も添加物も実際は何が使われているのか実態は不明と言わざるを得ない。

ここ二百年で加速度的に発達した医療と科学は本当に豊かさと繁栄をもたらしているのだろうか。繁栄の果実を享受しているのは実は一部の特権的な位置にいる人たちだけで、我々は彼らが放ったまだ少々果肉の残った皮を拾い集めているだけなんじゃないだろうか。果実と良く似たフェイクを結構な値段で買わされて「手に入った!手に入った!やった!やった!」と糠喜びしてるだけなんじゃないだろうか。
ボクはそこを真剣に疑問に思っている。

その答えは当然すでに出ているわけだけど






| 22:41 | 立派な大人のための童話 | comments(2) | trackbacks(0) |
八重山UFO協会設立要綱
原発が爆発?いえいえ、爆発じゃなくて爆発的事象でございます。え?メルトダウンなんかする筈ないでしょ。あ。やっぱりしてました。メルトダウンしてました。ついでに言うとメルトスルーもしてました。放射能は安全である。原発なくして経済の繁栄なしでございます。2号機の温度が上がってるように見えますが、あれは温度計が壊れておるのでございます。安心するがよろしい。食品が汚染されてる?何をおっしゃいますか。500ベクレルまでは安全なんですから憂慮には及びません。ヨーロッパの基準は一桁少ない?あれはヨーロッパの連中が神経質なだけでしょ。気にする必要はございません。

と、まぁバカバカしき事のオンパレードが大手を振って街の真ん中で挙行され、まかり通っている平成の日本でございますが、どうせバカバカしいのならばUFOだってありじゃございませんか。ね、そうじゃございませんか。と言うわけで八重山UFO協会を設立させましたのでここにご報告させていただきます。

平成日本が陥ったバカバカしき閉塞状況を打ち破るために私はUFOに期待したいのでございます。考えてもみてください。UFOを飛ばすような方々ならば、イスカンダル星人よろしく放射能除去装置のひとつぐらい持っているかも知れないし、つまりそれは我々を遥かに超えた英知の可能性を示唆していることに他ならず、私はUFOに一片の期待を寄せるべく、八重山UFO協会会長に就任した次第。

無論、バカバカしいと後ろ指をさされるのを承知の上でございますが、冒頭申し上げたようにUFO論争をはるかに凌駕したバカバカしいことがフツーにまかり通っている世の中でございますから何も怖くはございません。さ、みんなで輪になってUFOを呼びましょう。いでよUFO。いでよ異星人。その姿をはっきりと我々の前に現し、そしてバカバカしい政府やバカバカしい連中に翻弄され続ける我々小市民に救いの道を示したまえ!

と、まぁ輪になってUFOを呼ぶ気は本当は全然ないのですが、バカバカしい現実に対するカウンターカルチャーとしてのUFO協会がひとつぐらいあってもいいんじゃないか。私はそのように考え、そのように行動する所存にございます。敬具。

なんてわけで、八重山UFO協会は会員募集中です!
連絡先はEmail  captain.sunagawa@gmail.com
または0980-87-8283(Tデザイン社)へ

ちなみに当協会の活動要旨は何ひとつ決まっておりませんw
自由です。それが八重山UFO協会なのでございます。
| 09:24 | 立派な大人のための童話 | comments(6) | trackbacks(0) |
裸の王様。笑われるべきは実は王様ではなく、王様は裸であると笑っている家来や民衆のほうかも知れない【後編】
 裸の王様が笑われるのは、馬鹿には見えない服であるという仕立て屋の言説を真に受けるからであり、つまりはそれって端的に言えば 王様をして有り余るほどの地位だの名誉だの財産だのにあぐらをかき、碌でもない商売人のセールストークさえ正しく断じることが出来ないあきめくらの如き設定になっているわけだけれども、じゃ、仕立て屋に騙されて裸で練り歩く馬鹿な王様に苦笑するしかなかった家来の連中や、隠れて笑った民衆はお利口さんなのかと言えば全然そんなことはなくて、馬鹿な王様を支配者としてこぞって担ぎ上げ、自由に笑うことも出来ない卑屈な存在ではないのだろうかと感ずるわけです。

更に言えば、王様が裸である事を指摘したガキンチョはパンツ一丁で誇らしげ歩く王様を見て『おおお〜!王様はなんて斬新なんだ!なんてアナーキーな人なんだろう!かっこいい!ブラボーだよ王様!でも、馬鹿な大人や教師にはあのかっこよさが理解できないんだろうな。ったく、斬新なる裸の王様見ていちいち固まってんじゃねぇよ。愚鈍どもがっ』なんて思った可能性大だし、ま、そこまで言わずとも実は子供は『おおお〜、裸で歩いてるよ王様!いいなぁ〜!オレも裸になりたいなぁ〜!オレら子供の裸になる自由を奪うのは王様かと思っていたが、どうやら思い違いだったみたいだな。ファックなのは王様じゃなくて町の大人たちだったんだ!裸の王様を見てやっと気付いたぜ!!」なんて思ったであろうことは想像に難くありません。

つまり笑われるべきは裸になった王様ではなく、王様の裸体に卑屈なまなざしを送るしかなかった家来や民衆のほうってわけ。

まだ洗脳も矯正も抑圧もされていない子供の目に映ったものこそがより素の現実に近いものなのかも知れません。私たち大人の目はいちいち曇っています。自由に笑い飛ばすことさえ叶わないのです。誰かにおもねり、誰かに合わせ、嫌だろうと気が向かなかろうと誰かが決めたことに口をつぐんで従います。私たちが見ている現実とはそういう行動が前提で成り立っているのではないでしょうか。

裸の王様。なんとも悲しく切ないお話。






| 16:34 | 立派な大人のための童話 | comments(0) | trackbacks(0) |
裸の王様。笑われるべきは実は王様ではなく、王様は裸であると笑っている家来や民衆のほうかも知れない【前編】

私たちが生きる社会は本当に現実のものなんだろうか?

って何か哲学的なことを言ってやろうと思っているのではなくて、ボクは唯単純に『現実』と皆が呼ぶものを疑っているのです。何を疑っているかと言うと、ボクはその現実なるものが何か実体を伴ったものでもなく、普遍の価値あるものでもなく、実は結構しょーもないファンタジーではないかと疑っているのです。

例えば【死】についての現実。
私たちは社会的にも心情的にも『死』を怖れます。少しでも死なないように心掛けたり、念じたり、誰か神様や教祖様のお力添えにより死を遠ざけてくれるようお願いしたりもします。ま、もう末期ガンであることが発覚しちゃって死を遠ざけるのが無理ならせめて安らかに死なせてくれと懇願したりもします。

私はそれがおかしいなどと言ってるのではありません。死を遠ざけようと願ったり、死を穢れと感じたりするのは至極当然だと思います。

はい。ここでおそらくはほとんどの人が『そうそう。当然でしょ、そんなの。誰だって死にたくないんだから』ぐらいの事を思いつつ、私が提示した「当然」という文言に頷いてくれた事と思いますが、死を避けるのが当然という現実がここにあります。

そう。現代に生きる誰もが死を避け、死を怖れ、死にたくないと願っている筈です。ま、中には死を怖れぬ極少数の変わり者はいるでしょうが、おおむね私たちは死を忌避します。

しかしながらよくよく思い出してみましょうか。
我らはホモサピエンスなる高度な霊長類へと進化を遂げ、その人としての黎明期がいつであるという学術的命題に未だ答は出ていないのでおおよそのところに線を引き、ま、仮に300万年前にアダムとイブが誕生していたとすれば我々はそこから1億2千万世代以上を経てきたわけで、その総数は何千億人か、もしかしたら何兆人にもなる筈です。そして3,000,000年の長きを渡ってきた人類の総数である何千億か何兆かの人たちは皆、誰一人の例外なく死に至っているのです。


おかしくはないですか?
私たちは死は遠ざけるべきものであり、怖れの対象であり、忌避すべきものであり、死を克服することを望むのは当然であるぐらいに思っている現実がすっかり定着してるわけですが、今日に至る1億2千万代のご先祖様がことごとく死んできたように我々もまた100%確実に死にます。それなのに何を怖れることがあるのでしょうか?

びびろうと、泣こうと、わめこうと、例外なく誰もが死ぬのに何故びびったり、泣いたり、わめいたり、取り乱したりするのでしょうか?どうしてそれが現実という事になっているのでしょうか?いつからそれが定着したのでしょうか。どうして我々は少しでも長生きしたいと願うのでしょうか。考古学などによれば黎明期の人類はとても短命だったようだし、たかだか200年前でも平均寿命は50歳前後だったわけで、それらの事実を踏まえれば我々は死を怖れるからこそ寿命をどんどん延ばしてきたのかも知れませんが、伸ばそうと引っ張ろうとどうやっても我々は死にます。

確かに死はしばしば深い悲しみを伴います。ある日 突如として大好きな人が目の前からいなくなるのは誰にとっても大きな痛手として心に刻みこまれることでしょうし、そのような悲しみや哀れみを避けようとするのは仕方のないことだと思います。

しかしそれでも万人は必ずや死にます。病気か事故か老衰かはともかく誰もが例外なく死亡します。乞食であろうと王様であろうと政治家であろうとワーキングプアであろうと卑劣な野郎であろうと正義の味方であろうと死は等しく訪れます。

ならば私は死を忌避するのではなく万人が死生観を持つべきではないかと思ったりもしますが、それは本稿のテーマと関係ないのでまた別の機会としますが、ともかくも我々はびびる必要の無いものをびびり、怖がる筋合いではないものを一生懸命に怖がっているのではないか。私には現実がそういうものに見えるのです。

ま、しかし死についての考察もあくまで喩えの一つにすぎません。私が本稿で語ろうとしているのは現実とは何かと言うことであり、天邪鬼たる私が天邪鬼を続けるのは多くの人が現実として疑って掛かろうとしないものを疑い続ければこその天邪鬼であるわけです。

と、いうことで少々長くなってきたので続きはまた次回。
| 10:23 | 立派な大人のための童話 | comments(0) | trackbacks(0) |
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