Tデザイン社 西蔵電気筆録

沖縄県は八重山郡 石垣島に開設したデザインオフィスから発信する業務日誌改め、ドイツはミュンヘン市に居を移して発信する

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砂川船長いわく『デザインの神様と商売の神様は兄妹』

デザインの神様と商売の神様は兄妹であるとは弊社のキャラクターであるところの砂川船長の発言なのですが、その真意のほどが巷にイマイチ伝わっていないようなので彼に同句を吹き込んだ張本人であるところの作者のボクの立場から本日は少々補足をいれておきましょうね。

この場合、どっちが兄で どっちが妹なのかは横に置いておくけれど、兄妹ってくらいだから極々近しい縁石関係を暗喩してるわけでして、ギリシャ神話を紐解けばわかるように神様ってのは単独だとどうしてか独善的だったり傲慢だったりして、あらぬ暴走をするのもしばしばです。

商売の神様が独善に走り、傲慢をかまし、暴走し始めるとどうなるかは世間の皆様はよくご存知でしょうからボクがここで説明するまでもないでしょうが、ま、一応書き連ねておくにそれは産地偽装だったり底上げ容器だったり抱き合わせ販売だったり、記憶に新しいところでは加熱調理が必要な肉を生で食べさせってのも同種の行為と言えるでしょう。ま、ありていに言ってしまえば市場や顧客のニーズを逆手に取った醜悪な行為に走るわけです。

一方、デザインの神様が独善傲慢暴走するとどうなるかと言うと、それは過剰包装だったり行き過ぎた写真加工だったり誇大広告だったりして、いわゆる看板に偽りありと言う行為に往々にして出るわけで、もっと往々には各種政治団体や国家がプロパガンダとして確信犯的に独善傲慢暴走誘導させることは皆さんもよくご存知のことと思います。

って…あれ?そうでもない?
もしかしてプロパガンダって、社会主義国家だの独裁国家だのばかりがやるものと頑なに信奉してるうぶな方もなかにはいるのかしら?

断っておくけど、そんなわけある筈ないからね。日本も米国も欧州各国も中国も韓国も北朝鮮もイランもパキスタンもスーダンも南アフリカもプロパガンダなんて得意中の得意なんだからね。民主主義国家が行うそれを『正しき導き』であるかの如く信じたり流布したりするのはどうかと思うよ。

って事で話を戻すに、何ゆえ暴走するのかと言えば、商売の神様が暴走するのは利潤追求が主たる要因でしょうし、デザインの神様が暴走する場合は得てして商品そのものに力がなく、そこんところを補おうとして力技に頼るより他なかったりします。

そのように兄も妹もそもそもが人格者でない場合、それぞれが相反して勝手をやりだすと碌なことにならないのは火を見るよりも明らかであり、誰しもそこんところはご理解いただける事と思いますが、じゃ、結論を得るためにわざと逆の例証をとりあげてみましょうか。巷でとても美しく仲の良い兄妹として認知されてる例証です。例えばご当地石垣島の大大大大ヒット商品であるところの◎◎島ラー油。もしこれにしょうもないロゴとパッケージが施されていたら?

上の写真が売れまくっている本物の写真で、
下の絵が検証用に今ちゃちゃっと作ってみた偽◎◎島ラー油のパッケージ。


ホンモノの◎◎島ラー油が売れたのは一義的に商品そのものに大きな力があるのは今更ボクが主張するまでもなく周知の事でしょうし、ヒットする要因としてこの商品の開発者であり販売者であるご夫妻の人柄や奮闘なくしてあり得ないわけですが、中身(味も容量も)が同じものであっても下のパッケージだったら今日のような大ヒットを遂げたりしたでしょうか?

100%と申しません。でも99%それはなかったとボクは断言します。◎◎島ラー油が大ヒットを遂げたのはパッケージデザインと商品の持ってる力とが高いレベルで融合したからこそです。って、ま、そんな事は消費者の多くが気がついてることだと思います。

しかしなぜか巷で商いをする人の多くはそこに目をつぶろうとします。ボクにはそれが不思議でしょうがないのですが、どのように目をつぶるかと言うと、商品ばかりに目を向け パッケージデザインには自分のひと月分のお小遣いほどの金も出さない出したくない「そこに経費は掛けられないからよ」みたいな台詞を至極当然の事のように吐いたり、その逆に商品そのものはほとんど思いつきで作ったり、単なる真似だったりするコンセプトにもパワーにも著しく欠けるB級品だったりC級品だったりするんだけど、それをどうにか上の下、もしくは中の上ぐらいに見せるべく上等なパッケージデザインを求めるという若干破廉恥な行為が平然と行われるに至っているわけです。

ま、どちらもありと言ってしまえばありかも知れません。千円でも経費を減らしてモノが売れるならばそれに越したことはないし、商いを行う理由も規模もレベルも皆それぞれ違うわけですから、どーでもいい商品を少し売って小遣い程度の金額を稼げればそれでOKって人がいるのは然るべきでしょう。

だがそれでもデザインの神様と商売の神様が兄妹であることに変わりはありません。どちらか一方が頑張りまくってみても大した事にはならないし、兄妹が幸せな家族となることもありません。ベタなこと言っちゃいますが、それぞれ補い合ったり支え合ったり励まし合ったり連携したりそれがファインプレーにつながったりして、つまるところそれが本稿のテーマなのです。
| 13:44 | Q&A | comments(0) | trackbacks(0) |
saku氏から寄せられた疑問に拡大返信 〜癒し考〜
生まれたての長男坊の手
 前回の記事にsaku氏よりコメントいただきました『癒し』『癒される』って言葉がチョット嫌だ。なんでかな?というご疑問質問について拡大返信。記事として一考してみました。(ついでにQ&Aというカテゴリーを設けてみました)

実はこれ、saku氏ばかりでなくボクの周辺では時折耳にするネタであります。

癒しって言葉があまり好きでない。
癒されるとか私は使いたくない。
ってな事をおっしゃる方は決して珍しいってわけじゃなくて、その多くは自発的に言い出せないだけで潜在的には相当数の方が『癒し』という言葉に対して腰が引けているようにさえ感じられます。多分そうなんでしょう。じゃ、なんでそうなっちゃったのか?

まず第一には、手垢にまみれた観がありますよね。
割と新しい言葉であるにも関わらずなんで手垢まみれになっちゃたかと言えば、やっぱ各種メディアがなんでもかんでも安直で、無制限の上に無制約で不適切な使い方をしてきたからでしょう。本来ならば『なごむ』とか『安堵する』とか『治る』などの言葉を当てはめたほうが適切である場合にも各種メディアはその番組や記事において一律にも判で押したの如く『癒し癒し』と連発し、消費しまくってきましたよね。

つまり搾りカスです。エナジーも魂も抜けきった搾りカスみたいな言葉なのに、それでも今尚各種メディアは『癒し系』だの『癒されたい』だののフレーズを使い続けるから、元気の回復も望めません。癒しって言葉自体が擦り切れちゃってボロボロだって言うのもなんだかブラックジョークな感じがしますが、第二には、メディア側じゃなくてボクらのほうにも言葉の使い方に問題があるんです。

『癒されたい』って言い方をよく耳にすると思いますが、なんで受動態なんでしょう?なんで受身なんでしょう。癒されたいって言うくらいだからその言葉を発する方はさぞかし疲弊しているか、もしくはかなり消耗して病んだ状態の筈です。にも関わらず『癒されたい』と受身でいるあたりに腑に落ちないものをボクは感じるんです。

疲弊して消耗してボロボロなら自らが自らを〈積極的に〉癒せばよいのであって、誰かに、何かに、どうにかして「癒されたい」なんてなんだか本気度が低いと言わざるを得ませんよね。

つまり、「癒されたい」なんてフレーズをよく用いる方は多分本当は大して疲弊も消耗もしてないんです。受身で待っていられる余裕をかませるくらいに元気健在なんでしょう。だから、そういう「偽疲労・ホントは結構大丈夫」みたいな方々をいっぱい見てきた人ほど『癒し』って文言に引っかかるものを感じるのではないでしょうか。



以上がボクの見解ですが、癒しにまつわるこのような考察が的を得ているのかいないのか全然わかりません。ただ一つ確実に言えるのは、いかなる言葉であろうと言葉そのものには責任も善悪もなくて、『癒し』に限らず、耳して腑に落ちていかない言葉ってのは言葉じゃなくてその言葉を使う人とか、言葉の使用方法そのものに原因があるということです。

さんざん消費され消耗し尽くし、無理な使役を強いられた奴隷みたいにボロボロになった言葉たちにボクはいつの日にか再びエナジーを吹き込んでみたいのです。



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