Tデザイン社 西蔵電気筆録

沖縄県は八重山郡 石垣島に開設したデザインオフィスから発信する業務日誌改め、ドイツはミュンヘン市に居を移して発信する

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月が綺麗な夜はいつも清志郎の歌を思い出すんだよ。
夜の散歩をしないかね by kiyoshiro


人は、その一番幸せな時期が過ぎ去るまで自分が幸せであることに気付かないんだよ。不思議だね。幸せとはおそらく相対的なものなんだろう。

だからボクは絶対を信じない。絶対と思い込めるなんて実に傲慢なことだと思う。地球とか宇宙とか考えちゃうと人なんて言う存在はものすごい儚げだったりするわけで、そんな儚げでちっぽけで吹けば飛ぶような矮小なるものが「○○とは絶対である!」なんてやるのは正味ギャグなんじゃないかと。

ま、個人的にはギャグはギャグで好きなんだけど、ギャグをやってるって自覚が本人にないままやってるギャグは笑えなかったりするのでやっぱりその自覚は持っていたいし、持っていて欲しいし、その自覚の有無こそが相対的に自分の位置を計れるか否かを決めるんじゃないかと思うわけですよ。

ちゃんと自分を相対化できるならば如何に自分が儚げな存在であるかの自覚も生まれる筈で、なればこそ他人や地球を冒涜するような行為には及べる筈もないけれど、どうやら周りを見渡せば今この世界を席巻しようとしてるのは冒涜と傲慢と金儲け。

他人を傲慢にも押さえつけ、家族や友を冒涜し、世界を金儲けの道具としか見ていない連中は、まるで手前(てめぇ)のことを神か何かだと思っているみたいだよね。そんな連中が幅を利かせている現状にとても悲観的なものを覚えたりするのは確かなんだけど、そんな己の立ち位置すら相対化できるようにボクはなりたい。

今はそんなに不幸せじゃない筈なんだ。きっと人生で一番幸せな時期を生きている筈なのだ。でもそれがイマイチわからないって事は、やはりボクも自分を相対化するに首尾よく行ってないとの証なんだろう。夢は夢から覚めて初めて夢だとわかる。夜が来てまた眠れば夢は見られるがやっぱり同じ事の繰り返し。

それが人の業なのかな。

月がきれいな夜を走りながらそんな事を考えたんだ。おやすみなさい。

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