Tデザイン社 西蔵電気筆録

沖縄県は八重山郡 石垣島に開設したデザインオフィスから発信する業務日誌改め、ドイツはミュンヘン市に居を移して発信する

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今いる場所の意味を初めて考えてみた
今いる石垣島に流れ着いたのは95年のことだった。阪神大震災が起こり、サリン事件を起こしたオウムの麻原が逮捕された動乱の年だ。

世の中では随分と碌でもないことばかりたて続けに起こるものだなぁ。くわばらくわばら。などと念仏のひとつも唱えつつも夏が来たのを確認したのちにボクは自転車にまたがり、北海道は札幌を発ち、そこからひたすら南下を続け、道すがら全国各地で野暮用の三つか四つか五つぐらいを足しつつ、二ヶ月余りの時間をかけて陸路(航路を含む)を進みて沖縄県は石垣島へと辿り着いたわけであるが、当初からボクにはひとつの疑問があった。

なぜボクは今此処にいるのか?

元より旅行であるからボクは札幌へ戻ろうと画策していた筈なのだが、気がつけば嫁をもらい、慎ましやかではあるが石垣島で暮らしなどを始めているではないか。考えてみればちょっと奇妙奇体なことであるよなぁと我ながら思ったり。

では何を以って奇妙奇体かと言うに、ここで奇妙奇体と対置されるべきは「汎」である。汎とは『広く一般に行き渡ったもの。またはそのかたち』であれば汎においては旅先にて嫁をもらったりはしないし、辿り着いたる三千キロ向こうの地にて唐突に暮らし出したりはしない。嫁をもらうにもそれ相応の助走期間を経つつ互いの親に会いに行ったりだとか、友人知人に紹介したりだとかやるわけだし、ましてや着替えやタオル歯ブラシぐらいしか持たぬ軽装の者が見ず知らずの土地で暮らし始めるとは少々思慮に欠いてると言われても致し方ないだろう。

ま、それでも如何に思慮に欠けていようとも前例が極めて少なかろうとボクは現にそうしているわけで、この一連の流れはボクにとって汎である。

しかしだ。今ひとつ腑に落ちないことが石垣島暮らしの当初よりあって、それは何かと言うと『理由』である。暮らしをここで始めようとしたその理由だ。なんなればボクは故郷札幌で結構首尾よくやっていたのであり、腹を割ってなんでも話せる友もいれば、二晩も三晩も徹夜をして互いにどろどろになりながら麻雀をやり続けるようなアホな仲間もいたし、旅が終わったらいつでも戻って来いと言ってくれる元の勤め先もあったし、恋心を告白してくれる女性だって何名か郷里にはいたわけで、要するにボクは札幌の暮らしに特段の不満とか弱点があったわけじゃないから札幌に戻らぬ理由など何ひとつなかったのだ。

それがなにゆえ石垣島なのか。それもあまりに唐突に。

そう。我ながら若干唐突な観は拭えなかった。何がそんなに気に入っちゃったのだろう?何がボクの足を止めさせたのだろうか?人?文化?風土?海?自然の豊かさ?いや、人はともかく文化や風土に特段惹かれているわけじゃないし、海は水浴びする程度の興味しかないし、自然の豊かさを比べれば広大なぶんだけ北海道に分があるかも知れない。

確かに人は大好きだ。こう言っては怒られるかも知れないが、この界隈の島々に暮らす人々はボクにとって汎の定規で計れぬ良くも悪くもハチャメチャな人たちである。本土的なジョーシキとかセオリーが通じぬ実に興味深い方々ばかりであり、彼らに多大なる関心を寄せているのは間違いない。

しかし、そうは言っても郷里にいる友や家族だって同等もしくはそれ以上に愛おしいわけで、人が好き、人に興味があるからと言ってこの地に十数年も暮らし続ける正体不明の理由のその回答には少々弱い気がしていた。一体何がボクの足をこの地で止めさせたのか?

それがどうしてもわからないまま、保留にしたまま在石垣島16年目を迎えた今年、またも震災と大事件が起きた。東日本大震災と東電原発事故だ。

不謹慎のそしりを免れぬかも知れないがはっきり言おう。95年ボクは、大勢の人たちの命を奪った阪神の大地震と凄惨なサリン事件に突き動かされるように旅立ち、その16年後に再び起きた大震災と今後更に凄惨を極めることになるであろう原発事故を目の当たりにして保留案件が動いた気がしたのである。

今またとんでもなく碌でもないことが起きて、直観的にボクは感じている。ここにいる理由とはもしかしてこれなのかと。今はまだはっきりと言うのは避けるが、そこに間違いなくすじみちは存在したのだ。


断っておくにボクは神も悪魔も信じていないし、オカルトの信奉者でもなくましてやエスパーでも霊能者でもない。それは請合う。だが、何がしか避けがたい流れと運命みたいなものを微弱ながら今ボクは感じ取っている。それが思い過ごしならそれはそれで構わないだろう。何をどう感じようとボクの勝手であり、ボクはボクの人生の上に居るばかりだ。

だが、なんであれボクが今ここいる理由がおぼろげながらわかって、少しだけ溜飲を下げている。今は島にいながらこの大災禍の事態を見守るばかりであるけれど、切に願うはメルトスルーまで起こしている放射能が一刻も早く冷えることだけ。

原発事故現場にて今この時も踏ん張っているであろう皆さんの健闘と健康を祈って
| 03:38 | 石垣島 | comments(2) | trackbacks(0) |
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最近ポツポツとブログを再開してくれたので読者として嬉しいです。
僕はチェルノブイリ事故の時10歳、その後広瀬隆の「チェルノブイリの少年たち」という本を中学校に上がる前に読んだ記憶があります。子どもでしたからそれまでフィクション系の本しか読んだことがないのに、見えない恐怖の放射能に蝕まれるノンフィクションの洗礼にさらされ、衝撃の読後何ヶ月もチェルノブイリが頭から離れなかった記憶があります。そんな恐怖も成長と共にうすまり、26歳、世界一周を目指し仙台を立ちました。わけあって旅の途中(世界にも出てないが)与那国島で定住しました。7年後、福島原発事故が起こり、自分が日本の地図上考えられうる一番遠くに位置してることに宝くじ以上の奇跡を感じています。
自分がここにいて怒りの声を一人上げ続けていることの客観的な意味を鑑みるとおぼろげながら流れの意味を感じます。
この微弱な流れや運命を感じ行動するために、僕は理屈ではなく情動や本能で世界を見るようになりました。

原発事故現場にて今この時も踏ん張っているであろう皆さんの健闘と健康を祈って
posted by moistchocolat 猪股哲 | 2011/06/17 11:35 AM |
moistchocolat 猪股 哲 様
コメントありがとうございます。
ここにいる意味は、その意味を感じている人にとっての意味であり、おそらく他者から見ればそれはただの無意味でしょう。しかし、例えばボクはボク以外の人生を生きられないのだからボクにとってそれは無意味とはなり得ません。ここに至る道すじに意味があり、ここに居ることに意味があり、それがボクにしか見えない幻想であろうと幻想を見られるのもまたとても幸せなことだろうとボクは確信しています。だって多くの人は自分だけの幻想を持てずにいて、皆それを不安がったり、怖れたりして、その不安や怖れを埋めるべく共同幻想に走るでしょう。ボクはそれを指して付和雷同と呼びますが、逆に言えば付和雷同に走らぬ人は皆自分だけの幻想を持っているんです。幻想ですから誰に理解を求めても無意味です。他者には見えないし感じられないからこそ その意味とは自分のためだけにここに在ります。

ま、あまりに唯我独尊に走っちゃうと社会生活に支障きたしますけどねw 
posted by saizou | 2011/06/18 2:13 AM |
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