Tデザイン社 西蔵電気筆録

沖縄県は八重山郡 石垣島に開設したデザインオフィスから発信する業務日誌改め、ドイツはミュンヘン市に居を移して発信する

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new style

これからの広告についてここのところよく考えている。

従来の広告とはそのほとんどが美辞麗句を並べ、体裁の良い写真や絵で飾りつけ、当たり障りのない言葉でずらずらと説明を加え、アクセス方法をでかでかと打ち出して広く世間に対して店なり人なり商売なりを知らしめようってものがそのほとんどを閉めていました。ま、なかには確信犯的で刺激的なキャッチコピーや写真を用いる場合もありますが、それはあくまで表現方法の差でしかなく、広告としての基本構造にはさほどの違いはないでしょう。

では、この従来の方式の要点とは何でしょうか?

至極端的に言うに演出です。
綺麗に見せる。
体裁よく見せる。
分かり易く効果的に並べてみせる。

これらはすべて演出であり、あらかじめ何をどのように見せたいのかを計算し、それを意図し、経験則的に体系的にデータを再構成したものが従来の広告のほとんどです。大手、中小を問わず広告と名のつくの物を言語化してしまえばそのようなモノであり、無論、我がTデザイン社が制作する広告だってその御多分にはもれません。

演出を嘘と呼ぶつもりはありません。広く他者に伝える為の道具として生み出された広告であれば然るべくして伝達の精度を上げるため演出や、効果を上げるための為の一定の演出が必要とされてきたわけだし、それを嘘だの虚実だのと呼ばわるには通らぬ無理があります。

しかしながらこの演出と言うのがクセモノで、その程度や種類や方向性に別に唯一無二の基準があるでなし、演出の運用はあくまで広告制作者や企画者の裁量に任されるがままこれまで来たし、おそらくこれからも当面はそのスタイルが主流であり続けるでしょう。

なれらこそ演出がいつなんどき嘘に転じてしまうか危ういと言わざるを得ず、実際にまったくの虚構が広告に混ぜ込まれている場合が往々にしてあるのは誰もがご存知の通りだし、確信犯としてそれを行っている広告だって現実にはあって、それをもって広告の持つ欺瞞性とボクなんぞは呼称しております。


例えばTwitterでボクがフォローしているキリグアさん。彼女はグアテマラで宿を営んでいて、そこの日常のあれこれを彼女の平たい言葉で表現し、たまに彼女の視界に写っている物を写真としてアップしてくれています。で、彼女の言葉は決して品行方正ではなくて、嫌いなものは嫌いとはっきり言葉にし、愛して止まぬものや それに愛情を注ぐ様もそのままに表現します。

で、それらのツイートを日々拝見するボクにしてキリグアの宿に行ってみたくて仕方がなくなる。多分二週間の時間がとれるならいつでも行くぜ!などと思ってしまうわけですが、それこそがまさに新しい広告のありかたなんじゃなかろうかと思うわけです。

過剰な美辞麗句を並べたり、ありもしないサービスを謳ったり、Photoshopでいじり倒した写真嵌め込んだりするのではなく、ただ己を表現する。ただそこにあるものをあるがままに表現する。自分が見ているものを見ているままに伝える。

それに嘘偽りがないなんて言うつもりはありません。個人の目に映ったものが言葉や写真として情報化された場合にフィルターがかかり個人性のバイアスがかかるのは当然です。言ってみれば表現者なりのフィクションがそこにひとつ生まれます。そのフィクションとは大人向けの欺瞞や子供向けのおとぎ話ではなく、表現者個人の暮らし方であり物の見方。


ホントは今だってそう。幾重にも覆い被さってる虚飾や演出をひっぺがせば何も無い人は何も無いし、薄っぺらい人は薄っぺらいし、面白い人はそのままで面白い。逆に言えば何も無い人や薄っぺらいひとほど虚飾も演出も過剰にならざるを得ず、面白い人はやっぱりそのままで十分に面白い。

自分自身が自分を面白がれない限りは他者に面白がってもらえる筈はありません。自分を面白がり、自分が言ったりやったりしてる事を面白がる。それをそのまま表現したら最高の広告となる。それがボクの考える広告の新しいスタイルです。

現行 巷に蔓延る広告は、あわよくば他者を騙してやろうとか、自分や自分のとこの商品に演出加えて少しでも良く見せようとか、過大に見せてやろうとか、ありもしない付加価値付けてやろうとか、そんなのばかり。広告に使う女性オーナーの顔写真からPhotoshopでシミやほくろ消すぐらいはなんぼのものでもございません。かくありたいという願望をアドビ製品を使って表現したに過ぎないでしょう。でも厳選されてもいない食材を『厳選素材』と謳うのはやっぱ虚飾であり、ろくな社員教育もなくサービスの訓練もされてない従業員をして『親切な専門スタッフ』と呼ばわるのも演出に過ぎません。

ありもしない効能を謳うなんての未だに広告に用いられてるわかりやすい虚構ですが、本当はもっと解りづらいカタチで広告の虚飾は為され、大半の人はその虚飾や演出に気づかない。容易には気づかせないそれは、わかりやすい稚拙なそれよりも悪質です。

例えばダイエット製品広告の常道とも言えるビフォア・アフター。あの変わり身と謳い文句のダイエット効果の欺瞞はあまりに判りやす過ぎて、あれをそのまま信じる人は今時いない筈ですが、厚生省が認可する特定保健用食品の欺瞞はなかなか巧妙で多くの人々が欺かれてしまう…

虎の威を借るなんとかじゃありませんが、国家(権威)のお墨付きには誰しも弱いものです。そして広告の現状もまた虎の威を借ることで維持され、幾重の虚飾と演出テクニック頼みなのが偽らざる現状と言えるでしょう。

権威付けばかりではなく、多くの人がその価値を疑わず信じることで付与されるプレミア感。著名人を起用したり利用したりすることで発生させるブランド力。時流に乗り流行りを追いかければ誰にでも生み出せる安心感。それらがみんな嘘っぱちで悪辣とはまでは言うつもりはありませんが、それらを用いる事で一尺しかない身の丈を三尺にも五尺にも見せる広告はここらでもう終いにしたい。

広告の現状に何ら疑問を抱かない一般消費者は確かにまだまだ多いし、それら騙されやすいクラスタは未来永劫不滅なのかも知れませんが、一方で虚飾と欺瞞に満ちた広告の現状に呆れ果ててる人たちもまた確実に増えています。

ロークォリティー・ローコストのものを少しでも高く売り、利鞘を厚くせんが為の広告が死に絶えることはないのでしょうが、ボクはグラフィックデザイナーの立場としてそれを否定するし、そういう商売には加担したくありません。例えボクの稼ぎにならずともボクは広告のnew styleを標榜し、支持します。

だからと言ってハイクオリティの商品や会社や店舗や人だけがいいのだと言ってる訳では全然なく、有る物を有るだけで表現する。そのよう広告を世に出すお手伝いができれば本懐かと。


※本稿に使用した写真はキリグアの宿のブログより転載しています。


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