Tデザイン社 西蔵電気筆録

沖縄県は八重山郡 石垣島に開設したデザインオフィスから発信する業務日誌改め、ドイツはミュンヘン市に居を移して発信する

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絶望のススメ
皆さんの周りを軽〜く見回せば明らかだと思うが、世の多くの人はなかなか絶望しない。

実を言えばボクにはそれが不思議でたまらなかったりする。

こんな不条理で、不均衡で、法の下の平等など単なるお題目に過ぎなくて、オトナも子供も自分より弱いものを探し出してはネチネチと虐めるのに忙しくて、国家の都合で犯罪者をでっちあげ、明日を担うはずの子供が飢え、つまり貧富の差は日毎に広がる一方で、毎日世界中で軍隊が民間人を何千人と殺し続けていて、銀行と資本による搾取と欺瞞がまかり通っているのに何故絶望のひとつもしないのか不思議で仕方がない。

絶望しないだけではなく、あいも変わらず雛壇タレントを大勢映すだけの強烈なまでに面白くないテレビ番組に興じ、腹を抱えて笑ったり膝を打ったりしているそのセンスがボクには最早信じ難いものでさえある。

ボクは何もそれらの人たちをバカだアホだ低俗だと貶めようと言うのではない。ただ単にセンスとして信じ難いというだけだ。センスとしてまだしも理解できるのは、斯様な社会状況に対して呆れ返り革命を起こそうと一斉蜂起を画策したり、逆に「もう嫌だ。生きていたくない。いっそ死刑にしてくれ」と無差別殺人をやらかすようなキレやすい連中のほうであり、何故にそのようなテロリストや犯罪者のほうが理解可能なのかと言えば彼らは一様に絶望を抱えているからだ。

誤解なきよう断っておくが(誤解されても一向構わないが)、彼らの抱えている絶望が見えるからと言って彼らの行為を擁護する意図はボクにはないし、短絡的に彼らの仲間入りを果たす予定もつもりもない。あくまで雛壇タレント番組に興じるセンスに比べれば絶望するセンスのほうが理解可能ということに過ぎない。



人は何故絶望しないのか。
たぶん、絶望しないほうが楽だからだ。

絶望してしまうと日々不安に苛まれ、生きているのがどうしようもなく辛く感じられ、人間不信になったり鬱になったりして大きな精神的ダメージを受けるからだろう。

で、絶望したくない多くの人たちがいる事がこれ幸いと国家やマスメディアは多くの人が絶望しないで済むように中途半端な希望僅かばかりの救済を与え続ける。

『世の中で起きていることは何も戦争や紛争や飢餓や原発事故ばかりじゃありませんよ〜。みんな、下を向いてばかりいったて始まらないじゃないの。ね。上を向こうよ。ほら、茶の間にある大型液晶画面のテレビをつけてごらんよ。おもしろい番組やってるよ。お笑いだって、ドラマだって、バラエティだって、スポーツ中継だってやってるしw  それに大型液晶画面テレビが普及してるのだって俺らが経済的成功をおさめているが故なんだよ〜。燃費のいい車だって持ってるんだからレジャーにも行けるしさ。レジャーや旅行から帰ってきたら太陽パネルとオール電化とシステムキッチンが完備された快適なおうちでゆっくり休むこともできるしさ。パソコンやスマフォだって随分と便利になってさ、世界中の人とつながれるんだよ。腹が減れば24時間営業してるコンビニエンスストアはそこら中にあるし。ネット通販もあるから日本中の美味い物がお取り寄せできてさ、アマゾンで欲しいものすぐに買えるしさ、ユニクロなんかで格安な衣料品もたくさんあるし。生活に困っている人ための救済措置だって色々用意されているんだよ。ね。だから、みんなで頑張って仕事して税金と年金とちゃんと納めてさ、みんなでいい国つくろうよ。ね』というわけである。

なるほどよく出来ているストーリーだし社会機構だと思う。
それに異論はない。

だが、異論はなくも疑問はある。
いくら希望や救済を与えられたところで戦争と紛争と飢餓と原発事故はやっぱり起き続けているのであり、その戦争や紛争やそれに伴う飢餓や原発事故を起こしているのは(または大きく関与しているのは)他ならぬ国家であり、国家を支持する経団連や産業界や銀行や資本であり、更にそれを支持し隷属する国民一人ひとりであり、ひらたく言えばそういうのをマッチポンプと言うのであるから彼らが用意提示する希望も救済も笑止のひとことで片付けられなくもないのである。



そこでボクがお奨めするのが絶望だ。

絶望すると、皆さんご存知のように(前述したように)日々不安に苛まれる。生きているのが無性につらくなる。自暴自棄になる。誰も信じられなくなる。そして、そこが肝要なのである。

生きているのがつらくなり誰も信じられなくなることで、体制が画策敷設運営し、大勢がなびき支持する中途半端な希望と僅かばかりの救済の正体が見えてくるのだ。マッチポンプでしかないそれらの正体が否が応でも見えてしまうわけである。

だからこその絶望のススメなのだ。中途半端な希望と僅かばかりの救済のバカバカしさが見えれば本当に求めんとするものがたち現れる。本当に求めんとするものが画策も用意も準備も運営も出来ないがゆえに彼らは安っぽい代替品を我々に与え続けている図式が見えてくる。

彼ら搾取する側が得ているものは燃費がいいわりに10年で壊れる車でもなく、見せ掛けの快適さを謳ったこれまた10年であちこちいかれてくる35年ローンの家屋どころではないし、中国でやっすい人件費で作らせた大型液晶テレビでもない。彼らは自分たちの得ているものの廉価版を我々にまるで買い与えているかつもりかも知れないが、実のところ我々は彼らから恩恵を受けているわけではなくて、我々労働者側(被搾取側)こそが彼らに贅沢で豊かな暮らしを与えてやっているに他ならない。

それはこちらの意思でそうしてるのではなく、教育制度や社会制度の在り方としてそういうふうに導かれているからであり、それは絶望しないとけっして見えてこない種類のものなのであるが、だからと言ってボクは革命家になることをお奨めしているわけでもテロリストや無差別殺人者になるよう斡旋しているのでもない。

まずは絶望から始めよう!と言ってるに過ぎないのである。まずは色々と見えてこないことには何も変わらない。何を考えるにしても何を変えるにしても始めるにしても自分の周囲の景色を見ることが先決なのだから。

以上、絶望することをボクがお奨めする理由でした。
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