Tデザイン社 西蔵電気筆録

沖縄県は八重山郡 石垣島に開設したデザインオフィスから発信する業務日誌改め、ドイツはミュンヘン市に居を移して発信する

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今さら解脱は出来ないし 〜1500万が持つ意味〜

このブログはとてもシンプル。広告もアフェリエイトもブログパーツも一切ない。それら各種設定をちまちまやるのがとても苦痛だからだ。スパムメール対策ぐらいは面倒でも仕方なくやるけれどそれ以外は面倒さにまったく勝てない。ぜんぜん勝てない。でもそれがアナログ人間だからとは言わない。様々な情報をいちいち記号に置換して制御する現在のPCのやり方がとても非効率的に感じられて仕方なく、ただただ面倒なのだ。

ま、それをアナログ人間と言うならそうなのかも知れないが、デジタルの象徴ともいうべきコピペなどは非常に効率的としているから置換や差替えを交えながら長文を書くときなどは多用しまくるので一概にアナログ志向とも言えない気がする。

2012年とか、近々に人類が破滅するようなことがなければおそらくボクらを幾重にも取り巻く仕事環境や生活指針、方法論、価値観などがここ数年のうちにおそらく激変するだろうし、変化についていくのを面倒と言ってしまえばデザインの仕事などやってられる筈もないので最低限プラスアルファぐらいのマージンを確保しつ時代の波の上をなんとか泳いでみたいとは思っている。ま、思っているだけで首尾よく実行できるかどうかはわかないけれども。

デジタル手法であれアナログ式であれ基本はシンプルでありたい。都会に住んでいる人たちのようにあれやこれやに次々と視線を移し変え神経をぶん回し続けるのもなんだか過酷で今更やりたくないし、逆に愚かなる人間であることから解脱することにも全然魅力は感じないので基本スタンスはやはり中庸。生くに考えるに無くとも差し支えないものは極力そぎ落とす。でも共産主義みたいな方向へは間違っても行きたくない。贅沢は要らないけれど三ヶ月先ぐらいは見えるほうがよい。

以前読んだインタビュー本によると、村上龍はコインロッカーベイビーズの印税1500万が手に入った時、これで自由が手に入った!と思って以降の執筆活動のモチベーションとなったらしいのだが、ボクはもし明日1500万が入ったら仕事やる気なくしそうでコワい。だって考えてごらんよ。1500万あったら間違いなく四ヶ月先までは見えるからね。なんつって、えらく気の小さい話で情けないなw

| 11:11 | おもいつき | comments(0) | trackbacks(0) |
夢不要論 〜竜馬がもしあなたの周りにいたならば〜
 おっと、またもや忙しさにかまけブログを二連続パス。だめだね。忙しい忙しいって言ってるのはダメ。忙しいと心を亡くしちゃうンだからヤバイもの。失くすならまだしも亡くすだからまずいね。だって考えてごらんよ。失くしたものは後から見付かったり取り戻したりも出来るかも知れないけれど、亡くしたらそれで終わりってことだから。なので心は亡くしたくないなぁ。

でも亡くしていいのは夢かな。
あれは不必要だね。今はあんまり聞かなくなったけど(石垣島なんてド僻地にいるせいかも知れないけど)、一時期若い人たちが口癖か悪いビョーキみたいにみたいに皆で口をそろえて『夢夢夢夢』言ってたよね。

曰く。夢がなきゃ。わたしには夢があるんだ。あたなにもあるよね。夢を追いかける。夢を捨てちゃダメだよ。夢に向かって。ってな具合で何かって言えばゆめゆめゆめゆめっていちいち喧しくて、まるで夢がない奴は馬鹿か悪人か無能者みたいなもんだから、夢なんてさっぱり持ったことがなくて今後もきっと持つことがないだろうボクなんかはずいぶんと肩身の狭い思いをしたものです。

夢を語る人はたいてい一廉(ひとかど)の者になりたいって人であり、その方々が長いこと持ってらっしゃるって言う夢の内訳を伺うにそのほとんどが
有名であったり
有能であったり
抜きん出た存在であったり
業界をリードする人であったり
ナンバーワンであったり
と、とにもかくにも能力的に立場的に上位者であることを目指しています。要するに人よりも優れてたものでありたいと念じ、それを夢の骨格としているという共通点があることにボクはある時気付いたのです。

でもそれってどうなんだろうか?みんなが他人より優れたものになれる筈がなくて、ある任意の条件の中で比較したり競ったりした場合そこにはどうしても優劣が生じるわけで、優となった場合に『夢が叶った』となり、劣った場合が『夢やぶれて』という認定になるわけだが、そこに普遍性はあるのだろうか。

蓋し、無い。
ま、普遍性の有無は別にしても、結局のところ他人との優劣比較に夢を覚えているわけで、なんともさもしい話というか夢の無い話じゃないか。例えば
「世界から戦争をなくす!」とか
「こんな夢のない国ニッポンにした政治家を成敗しちゃる!」とか
「愛を燃料にして走る自動車を開発してみせる!」ぐらいのデカイ夢を語る奴が一人もいないんだから情けない。ま、そういう奴が現れると即座にキチガイ扱い。よくて変人扱いぐらいだろうか。昨今世間じゃ竜馬竜馬と喧しいが、あの時代でも大言壮語は馬鹿や阿呆の証であるのだからおそらく現実にはヒーローなんて扱いではなく世間的には正味キワモノ扱いであったことは想像に難くない。つまりは時代的に維新の立役者や、維新成立の英雄譚をつくる必要に迫られた為政者側の都合で生み出されたヒーローと言えなくもないわけで、もし今ボクらの周りに竜馬みたいな人がいたならばほぼ間違いなく精神科送りである。よくて変人扱いってところかw

ともかくも他人より抜きん出ようなんて夢は、あまりにさもしくて夢とは呼べまい。そんなもん夢なんて言ってたら坂本竜馬さんに怒られるし。
有名である必要も抜きん出てる必要もなし

他人より劣っていようと凡庸だろうと普通だろうといいじゃないか。何故自分の人生や暮らしをそんなにも他人と比べたがるのだろうか。そんな夢を語る人たちなどよりも、たとえ無能でも凡庸でも普通でも人として信用に足る人とボクはつきあいたい。
| 22:44 | おもいつき | comments(4) | trackbacks(0) |
石垣島市長選 西蔵的新機軸つづき

ということで加熱する一方の石垣島市長選でボクが着眼する争点は一つ。

それはですね、実は、
















ボクんところに挨拶に来たか否か。その一点でしょうかね。やっぱり。

実にシンプルでしょ。片方の候補は我が社へおいでいただき固い握手を交わしたのですが、残念なことにもう一方の候補はTデザイン社へ来てはくれませんでした…。来てくれなかったのはナカヤ…

って言うのは冗談ですw
本当の争点は自衛隊基地誘致なのですよ。
と言うのも自衛隊基地を誘致するか否かで観光地としての未来は大きく左右されるのは今更ボクが説くまでもなく明らかでしょうから。

他県や沖縄本島ならいざ知らずこの狭い石垣島に自衛隊基地なんかができちゃって、そこらじゅうをカーキ色の軍事車両が走り回り、戦車や対空砲のシルエットでも見え隠れした日にゃ誰がそんな島でバカンスをのんびり過ごすもんかって。

沖縄本島の米軍基地問題でもわかるように一度稼動した基地はそう簡単には移転も撤去してくれません。「ごめん。やっぱ要らないわ」って後から言っても聞いてもらえるわけないのは言うまでもありません。

基地誘致の是非を問われて「自分からは呼ぶことはありません」と言った新人候補。この言葉を逆に読めば『周りに呼びたい(誘致したい)って声があるなら善処します。前向きに考えます。考えんといかんでしょフツー』ってことであり、ボクはずうっとここんところが引っ掛かっていたんです。

これは観光関連に顧客の多くを持つ我が社として小さくない問題であるし、まだ幼い子を抱える身として個人的にも大きな問題ですから誘致に色気がある候補氏に一票を投じるのは難しいと言わざるを得ません。

基地を誘致するのかしないのか。自分から呼ばないとかではなく。絶対に呼ばないのかどうかが重要なところです。呼び込もうとする人が周りに居たらその人たちの動きを諌めたり御したりすることできるのか。百歩譲って実際に御しきれるかどうかは別としても基地誘致派に抗うことを厭わないのか。そこんところが肝要なんです。ボクとしては。



で、昨日から言ってる西蔵的新基軸。
それはですね。自衛隊だ米軍だって了見の狭いこと言ってないで、どうせ基地誘致とか言って軍事絡みで安定的財政を得ようって魂胆なら沢山呼んでしまえばいいのではないか。そう。チュニジア軍もイラン軍もベトナム軍やモンゴル軍までみんな誘致して、どうせなら地球の裏側からアルゼンチン軍やペルー軍まで呼んじゃえばいいんですよ。

まさに基地の島。世界各国の軍隊が一堂に会する島なんて世界のどこにもないのだからこれを新基軸といわずしてなんと言いましょうや。もし世界各国の軍隊を誘致できれば核抑止力なんて目じゃありません。世界中の軍隊がいるんだから如何なる勢力も石垣島には手が出せないのは自明なんですから!世界の軍隊がこの狭い島に一堂に会する様が平和の象徴でなくてなんだというのか。世界から国境をなくすのではなく、国境の象徴とも言える軍隊を一つの島に集めてしまうわけですからこんな斬新なことはないと思うんだけど、どうでしょう。

ま、ともかく世界各国の軍から入る基地用地使用料で石垣市の財政は安定し、観光客なんて一人も来なくたって構わないし、軍の規模も全体で数万人規模となるでしょうから商業的にも活況ベースとなります。兵隊さんはTシャツいっぱい買ってくれそうだし、海外カルチャーもどどどっと入ってきてたいへん面白いことになりそうな気がします。っていうか間違いなく面白いことになります。

石垣島新ドクトリン。
世界軍の島。
財政は潤い、平和も守られるこれ以上の施策はないでしょうね。

ま、でも今回の選挙では現職にも新人候補にも受け入れてもらえないだろうし、そもそも昨日今日思いついたところなので今回の選挙には間に合いませんでしたが、今後もし間違ってボクが石垣市長に立候補することがあったらこのドクトリンを最前面に打ち出すことにしましょう。

ってことで今回の選挙どちらが勝つかわかりませんが、とりあえずボクとしては「自衛隊?絶対呼ぶわけじゃないじゃん!俺、自衛隊とか米軍とか嫌いなのに」って言ってる方へ投票することにします。あ、でもね、内心で自衛隊呼ぼうかなって思ってる候補氏も人間的にはとても魅力的な方ですよ。いや、本当に。って、言うのも彼、昔の野球仲間だし、勝っても負けても島のために一緒に頑張りましょうね。

と綺麗にまとまったところで今日はさようなら〜

| 12:53 | おもいつき | comments(4) | trackbacks(0) |
石垣島の市長選挙があんまり熱いので西蔵的新機軸を(勝手に)打ち出してみた。

いやぁ、市長選アツイですね。今回ばかりは。
いつもは結構みんな褪めてたんですけどね。ええ。冷めてましたよ。

沖縄県知事の乗り込みから始まって、喜納昌吉が応援ライブやって、自民党東京本部から派遣された小泉さんちの息子さんまで来ちゃってみんなでワイワイと石垣島の市長選挙を盛り上げているわけですが、実は二人の候補に対立軸があんまり見えてこないんです。

って言っても対立軸がないわけじゃなくて、ありすぎてなんだかよくわからないんです。おそらくは周りの人たちもそうみたいで、対立軸うんぬんよりは『現職はもう長いことやってんだからさ、もうそろそろ若いのにやらせていいんじゃないの。ね、西蔵さん』みたいな対立軸を端折りすぎてなんだかSO
 EASYなことになってるわけです。

ま、別にイージーでもいいんです。難しく考えればいいってもんじゃないのは真理だと思います。
でもね。候補が二人いるわけですからやっぱりちゃんとした比較対象的な考察をせねばどうしても腑に落ちないと言うかなんだか気が休まらないのでボクはここ数日夜も寝ずに考えましたよ。どうしようかと。そうして遂に昨日ボクは西蔵的新機軸に辿りつきましたので本日此処に発表させていただきます。

いやぁ、なんだかどんどん政治的になっていく西蔵電気筆録ですが、政治的になっていく結果がどうなるのか考えるのはやめましたw 考えても始まりません。我が内なる声に従い、思ったことを思ったままに言葉にするばかりです。

ってことで今回の選挙戦で注目すべき対立軸はボク的には一点。
ただの一点です。
その一点以外は両者の言ってることと市長当選後にやるであろう内容にそう大差はないからです。どちらも経済が大事だと述べているし、実際に島には不況風がびゅんびゅん吹いていて、なんの対策もなしには島の経済が立ち行かなくなるのは自明。特に建築業界と観光業界の落ち込みはかなりやばいものがあります。今も飲食店あたりはガンガンつぶれてます。ここんところに効果的な対策が打てなければ十年後の石垣島は与論島の二の舞確実でしょう。

与論島。覚えてるかな。かつてハネムーンブームで活況を呈した離島のひとつです。その与論島をハネムーン旅行に利用したのは団塊の世代より少し若い方々。当時はそれこそ日本のハワイみたいな売りで行ってたのに、沖縄が日本に復帰して沖縄にスポットが移り与論島ブームが去ったらかつてのハネムーンメッカは利用も出来ない壊すにも金掛かりすぎて放置しとくより他ないデカイ箱ばかりになっちゃって、町中シャッター閉まってほとんどゴーストタウン並みって次第。まったく、やれやれなんだけどそれが日本のやっつけ観光の現実。

ま、それはさておき次の市長になる人は現職であれ新人であれ石垣島を与論島にしないために真っ当な観光を目指してもらわねばなりませんし、共に目指す気はあるようです。で、更には教育や福祉面に両者ともに目を向けてもいます。

じゃ、対立してるのは何処なのよって話ですが、対立してるのはまず年齢差。世代差。
かたや60代前半、かたや40代前半。つまり親子ぐらい歳が離れてます。それに加えて革新系の現職候補と保守系の新人候補というスタンダードな対立軸。あと経歴。かたやドクターあがり、かたや野村證券あがり。それぞれを支持する年代もはっきりと分かれ、島は今や老若の争いみたいになってるわけです。

さぁそこで市長選における西蔵的新機軸ですが、もう随分長く書いてしまったので明日に続くと言うことお願いします。
じゃ、また明日。

サムクックとタミーテレルちゃん。&ベティハリスちゃん。
タミー、やっぱかわいいですね。
昨日アップし忘れたので。

| 18:35 | おもいつき | comments(0) | trackbacks(0) |
石垣島 BAR NOBU で考えたこと 〜移住の理由と秩序ある世界について〜

石垣島にBAR NOBU と言うとても素敵な店がある。
昨夜、宮古島から来た友人とそこを訪れ、店のご夫妻と友人との会話を聞いているところで考えた。
本土の人間は何故沖縄を目指すのか。
実際に行動に移せるか否かは別としても、どうして多くの人が島に引き寄せられるのか?住みたがるのか?

例えば沖縄が好きで。とか青い海や自然に魅せられて。とか都会の暮らしに嫌気がさす。もしくは限界を感じたりしてこちらへ居を移すわけだけど、たいていの場合はそんな思いを実行には移せないし、移したにしてもほとんどの場合3年程度で本土へとまた再び戻って行く。

沖縄移住へ如何なる理由があったにせよ移住者の大半(おそらくは9割がた)が移住の数年後には本土の生活へ戻ると言うことは移住の理由として最初に掲げた大義名分に有用性とか実効性とかはそれほどなく、突き詰めるに有用性や実効性に欠けるばかりではなくて移住理由と掲げた言葉は多くの場合その文面通りではないということになる。

でもだからと言って移住者が語る移住理由にウソがあるとかテキトーなことを言ってるとはならないので誤解しないでいただきたい。ボクがここで言いたいのは移住者の言外にこそ真実なり実際的な事由が隠されているのではないかということだ。

じゃ、その言外に隠された移住の真実とは何なのだろう?

東京や大阪などに象徴される大都会の風景やら環境やらの騒々しき日常から逃れたいだけなら箱根や草津あたりで温泉につかるだけでもOKだろう。自然と言ったってだって沖縄だけにあるわけじゃない。北海道だって東北だって四国だって大自然は一杯残っているんだから。

ま、確かに沖縄の海の風情は本土のそれとは少々趣を異にする。だが移住者の全て、もしくは大半が碧き海を目指して沖縄へ移住してくるわけではないし、ボクの周囲を見渡す限りにおいては『オキナワの海ってステキ!サイコー!!』とか『沖縄の海こそが私の求めるもの。窓からこんな海が見える家に住むのが私の夢だったんです。はい』みたいにして海に入れあげ、移住理由の上位に海を持ってくる人ほど早々に本土へと引き揚げて行くのが常だったりする。

そういうのを巷では空回りと呼ぶのを誰しもご存知だと思うので深くは追求しないw


あんまり回りくどく言っても仕方ないので単刀直入に言えば、おそらくは移住するほとんどの方々にして移住する理由なんて大してなかったりするのではなかろうか。

え?
本土から沖縄へと移住するのに大した理由もないなんてそんなことがあるのかよ?
何言ってんのオマエ。ってなもんだろうか。

いやいや。大した理由もないからこそ一度は否定、もしくは拒絶、もしくは背を向けた筈の本土の暮らしへと早々に容易に戻れるのだし、移住することに大した理由が本当にあるのなら移住者の大半が本土へ戻ってしまうという確固たる現実に説明がつかないではないではないか。

ここでひとつ注釈を入れておくが、ボクは本土への暮らしに戻ることが情けないとかカッコ悪いとか変だとか言ってるわけではない。移住する際にそれらしく語っていた移住理由は一体どこへ行ってしまったのかと疑問を覚えるわけだ。

つまりは、何処へ行ったも何も最初から無いのだから探しようがないというのがボクの主張するところ。

そう。移住理由なんちゅうのはそもそもが親だの親戚だの友だちだの辞める会社だのもろもろの周辺に納得してもらうための方便に過ぎないのではないか。で、周囲を納得させるのと同時に自分自身をも納得させる理由が必要なのだろう。俺は海が好きだ。とか私は沖縄を愛してる。とか沖縄にこそ未来がある。とか都会の暮らしはストレスが多すぎる。などのもっともらしい複数の説明を列挙することである程度の強度を確保すれば少々頑固な親だろうと近所の幼馴染だろうと納得させられるし、内心辞めたくてしょうがなかった本土の職場を円満退職する事だって可能だし、別れる理由を一生懸命探していた彼氏彼女とも無事に縁切りができるって寸法だ。

ボクらは実は思っているほど明快な実体を持っているわけでもなければ合理的な存在でもなく、理路整然と人生を送っているわけでもない。もっと言えば財産資産縁故に恵まれレールに乗った人生を送っているつもりになっていてもそれは幻想みたいなもので、如何なる権力者であろうとも何万年もの人類の歴史の中でひたすら栄枯盛衰を繰り返すばかりで、地球の半分を手中におさめた筈のかのアレクサンダーやチンギスハーンでさえ千年も経てもば歴史の教科書で数行ばかりの存在に過ぎないし、逆もまた真なりだろう。

人は人を過大視しすぎているように思うのである。
そりゃ宇宙船も飛ばせば核兵器も持ったし、地球温暖化させて北極や南極の氷を溶かすことも出来るし、ある種の生物を根絶やしにすることぐらい造作も無いだろう。でも所詮そこまでだ。全知全能の神にもなれなけば創造主となることも出来ないし、生まれ育った場所からたかだが数百キロもしくは千キロも離れて暮らしただけですぐに帰りたくて仕方なくなってしまうばかりである。なんと頼りなく脆弱な存在か。

あれが食べれない。これが食べられないと声高に主張し、アレが欲しいこれが欲しいとだだをこね、あれがないと生きられないとか、これにこだわらないと嫌だとか了見の狭いことを言ってるに過ぎないのに何故か妙に威張りくさる。

でもボクらはそういう存在なのである。
住む場所ひとつ変えるにもあれこれ理由がないと変えられないのである。周囲も自分もうまく納得させられないと生きていけない生き物らしい。在るがまま、気の向くままってわけにはいかないのである。

今度生まれてくるときは気の向くままに生きられる生き物に生まれてみたい。そこから見た世界はきっと秩序に満ち満ちているに違いない。

| 11:36 | おもいつき | comments(2) | trackbacks(0) |
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